差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2004年12月5日日曜日 16:29
宛先: 銭湯ML
件名: 浅間湯(横浜市西区浅間町)

ナカムラです。

今日(12/3)は、「浅間湯(横浜市西区浅間町)」に行ってきました。
最寄駅は相模鉄道の西横浜駅ですが、神奈川中央交通の東戸塚駅行に乗って10分ほと、「洪福寺」で降りればすぐです。
でも、横浜駅の第2バスターミナルは、駅から離れていて判りづらかった。

細長い浅間町は、旧東海道の街道筋、市電時代は浅間町車庫が置かれたり、横浜の交通面の重要な位地にある。
「懐かしの横浜市電(天野洋一&武相高校鉄道研究会)」という、35年前の横浜と今を定点観測した労作があるけど、交通の要衝にある同湯の煙突は何枚かの写真に登場している。

さて、浅間湯。この建物は昭和37年に建てられたもの。
入口は千鳥破風の黒瓦。
脱衣所棟もモルタルと赤トタンながら破風屋根。大型の銭湯。
後ろには立派なコンクリの煙突の影が浮かんでいる。

脱衣所棟の窓枠も装飾はないものの木製のもの、ガラス越しに天井が見える。
周りに高いビルもなく、同湯は、どっしりとして見える。

そして、暖簾の上にかかる屋号を記した木彫りの扁額が素晴らしい。
その両脇にやはり屋号を記した行灯が点っていて明るい。

暖簾をくぐると正面に傘を付差す式の傘入れ。錠はちどり。
下足箱の錠は松竹。
このエントランスは、大型銭湯につき十分なスペースがある。

番台は木組みのもの、ニスで光っている。
女将に400円を手渡す。

なかなか、かわいらしいおばあさん。
常連客(つまり小生以外)には、いらっしゃいませ以外に、一言声をかけている。
風呂なしアパートに住む若者にとって、きっと、貴重な癒しの言葉なんだろうなと、そう思わせる思いやりを感じる。

脱衣所は幅3間、奥行3間半と広々している。
天井は、古い合板で汚れているし、剥がれたりしている部分もある。高さは十分だけど、結構ボロい。
男女合わせて、12個の電球が仕組んであるけど、点かなくなってからだいぶ時間が経っている感じ。
暗くはないけど、明るくは無い、微妙な明るさの脱衣所になっている。

真中に中型の島ロッカーが縦置きに1つ。外壁側にもロッカー。ともに松竹の板鍵のもの。
脱衣籠も現役のようで、10個ほどが積まれている。
その他、番台横には牛乳類がほんの少し並ぶ旧型の冷蔵庫、壊れて動かない「KAMACHO」のアナログ体重計、ヘルスメータ、映画スパイダーマンを映しているテレビなどがある。

入口方に縁側と庭があるけど、トイレと業務用の洗濯機を置くスペースに取られ、カエデの木があるだけの寂しいものだった。

浴室への戸は自動ドア。
広さは幅3間、奥行4間半の大きな空間。天井は2段型。大黒柱はタイル巻きの立派なもの。
天井のウィングは1.5間幅、緩やかに均等なカーブを描いている。モスグリーンと白のペンキにくすみはない。
そして、装飾だろう、そこに◇型の板が4つ張られている。

島カランは2列で、カラン数はセンターから7・5・5・5・5・5。
カランはWaguriの角型で茶色の取っ手のもの。
外壁側以外のカランにシャワーが付いている。

特徴的なのは、2段型の上の部分が、板張りではなく重いモルタルが塗られていることと、外壁側にタイル巻きの立派な柱があること。
全体的に、伝統型銭湯だけど、ハイスペックな内装になっている。

浴槽は深浅2槽。
深槽が緑色の薬湯。温度は43度くらい。生薬の薬湯で、少し実母散の香りのするものだった。
浅槽は2穴ジェットが3機の白湯。温度は思いのほか高く44度くらいか。温度計は48度を差していたが・・・。

ビジュアルは、奥壁が池に水上建物のモザイクタイル絵。新しいものではない。
女湯には富士山が見える。
そして、男女境には、灯台・海・富士山のモザイクタイル絵。

金曜日の夜、21:15から22:30までの滞在。
相客は延べ7〜8人くらい。
静かで落ち着いていた。

洪福寺からの最終バスは、22:40分。
乗客2、3人のバスは保土ヶ谷駅で満員になり、終点東戸塚では小生1人になった。
車窓に目をやりながら、半分居眠りしながらぼんやりするのは悪くないけど、終点まで50分を要するロングランだった。






















西区浅間町(せんげんちょう) [明治34年4月1日設置]

町名の由来
 明治34年の横浜市編入の際、橘樹郡(たちばなぐん)神奈川町大字芝生から新設された町です。昭和19年4月1日の西区新設に伴い、中区から編入されました。

古くは橘樹郡(たちばなぐん)芝生(しぼう)村といい、『遊行(ゆぎょう)歴代記』に「武州芝宇宿」の記録があります。

明治22年の市町村制施行の際、橘樹郡(たちばなぐん)神奈川町大字芝生となりました。昭和11年の町界町名地番整理事業の施行に伴い、地区を四分割して浅間町、浅間台、南浅間町を新設し、一部を宮ケ谷に編入されました。

「神奈川浅間下」の通称が世間に知られていましたが、横浜市編入の際に「芝生(しぼう)町」と横浜市会の議決をえました。しかし、「芝生(しぼう)」は「死亡」に通じるとして、町民の懇願によって「浅間町」と改めました。町名は町内に浅間神社があることから名付けられました。

町に1丁目から5丁目の字区域があります。東側を新田間川(あらたまがわ)が流れています。中央を環状1号が通り、並行して旧東海道が通っています。また、1丁目を新横浜通り、5丁目を八王子街道(国道16号)が通っています。

「横浜の町名」(横浜市市民局)より