差出人: Masayuki Nakamura
送信日時: 2014年8月10日日曜日 6:51
宛先: 銭湯ML (sento-freak@freeml.com)
件名: 牡丹湯(大阪市住吉区帝塚山東)

ナカムラです。

今日(6/20)は、「牡丹湯(大阪市住吉区帝塚山東)」に行ってきました。住吉東駅(南海高野線)から、0.4キロ、4分くらいです。

早朝にW杯の日本×ギリシャ戦をテレビ観戦。ゆっくりと和歌山を出る。天王寺駅経由で船場センタービルへ行き、地下に入る「せんば自由軒」でカレーとご飯を予め和えてある「インディアンカレー」のオムライスを頂く。腹ごなしに糸へんの本場大阪の衣料品街などを冷やかし、牡丹湯へ向かった。

南海高野線の各駅停車は、なんば駅の1番線という、地方駅の「ゼロ番線」的な追いやられ感のある場所から出発しているのを知る。

駅オタクとしては、今宮戎駅、萩ノ茶屋駅、天下茶屋駅など、云われありそうな心惹かれる駅名が続くのが気になる。しかし、今日は大阪で最もディープな萩の茶屋駅の辺りを、高架を走る南海電車で眺めながら過ぎて行く。

東住吉駅は、そんなディープな大阪を通り過ぎた「帝塚山」という一帯だった。小生の認識では高級住宅地だったけど、いきなり駅前の市営住宅の一角にある「市立市民交流センターすみよし北」の建物に「差別を許さない人権のまち住吉」というスローガンが記されている。さらに、腕を振り上げる巨大な像が取り付けられていて、夕方ということもあって不気味さに肝を冷やす。

先ずは、今日は定休日の万代湯へ。誉れ高いレトロ銭湯。惚れ惚れする外観だったが内部も凄いらしい。定休の金曜日以外に再びやって来ることが相方との決定事項となった。

目的の牡丹湯は、万代湯の隣湯で300メートルくらいしか離れていない。

角地にあるのでコンクリ煙突を擁する銭湯の全貌を見渡すことが出来る。戦後、物資の乏しい時代の古い建材の二次利用ながら、確かな材料で造られている。

看板建築風のトタンのファッサードが何処となくロボット的で異彩を放っている。しかし、それにも増しても驚かされるのは、隣家との間にある重厚な卯建(うだつ)。とても戦後の建物とは思えない、ボリューム感たっぷりの卯建がある。極めて珍しいと思う。

風ではためく暖簾をかき分けて広いエントランスホールに入る。東京よりも奥行きのあるエントランスホールの両サイドには旧型おしどり錠の下足箱。隣には傘を突き差す方式のやはり古い錠前が付いた傘ロッカーがある。

番台への扉の前には1段の階段があるのも大阪的。

番台は木組のどっしりとしたもの。大将は釜場へ頻繁に往復していて、番台には女将さんが詰めている。相方が2人分の風呂銭800円を払う。大阪の銭湯の標準的な料金(440円)よりも安いようだ。

脱衣所の広さは、幅2間半、奥行3間ほど。天井は高さ2間ほどの見事な平格天井。床は籐敷き。小さいながらも前栽もあり石灯籠と石臼が置かれている。ちょうど卯建の下辺りだろうか、大・小二部屋の古典的な便所が残っている。

島ロッカーはなく、外壁側と男女境側におしどり錠の扉に漢数字を記したオール木製ロッカーがズラリと並ぶ。かなり壮観だ。連番の漢数字を目で追っていくと「八十六」まである。そう言えば下足箱の数も多かった。相客は浴室に1人だけ。これが全て埋まる時代もあった。そんな光景を想像していた。

その他、古いベンチ、Iuchiのアナログ体重計、真空管ラジオ、黒枠の大きな時計、檻に入ったような古い福助像、大将の故郷のである何枚もの富山・五箇山のポスターがある。

経営を引き継いでから46年。同湯がレトロな雰囲気を今に伝えているのは偶然ではない。苦心して古い時計の修理先を探したりと、古い時代の物の価値を分かって、大切に使っているからだ。それが同湯の代え難い居心地の良さに繋がっている。

浴室の広さは、幅2間半、奥行3間ほど。四角錐型の高い天井で中央に四角の湯気抜きがある。床のタイルは淡いブルーと白の市松模様。壁や男女境は中版の白タイルで、ビジュアルなどはない。

浴槽は、男女境に接した縁が石で組まれた深浅2槽。かなり高さのある踏み込み段がある。座って汲み湯するにはいいけど、浴槽から出る時に足を滑らせようものならかなり痛い思いをしそうだ。

大将がせわしなく裏と表を往復して番をするお湯は水道水を薪で沸かしたもの。42度くらいの心地よい柔らかなものだ。

カランは、奥壁に5、外壁に5と少ない。昔から数は変わらないという。しかし、同湯には、男女境脱衣所方に、水とお湯の汲み湯専用の2つの槽が並び、カランからあぶれた客はここから新鮮なお湯と水を汲んでいた。むしろ、ロッカー数86個さらに脱衣籠もあっただろうことからすると、そういった客の方が多かっただろう。配置は違うけど、神戸銭湯(垂水の天水湯など)の汲湯専用の狭小のセンター浴槽と機能的には同様のものだ。

現在はお湯は供されていないけど、女湯に抜けられそうな大きな水槽は、水シャワーの代わりとして現役だ。女湯を覗いたり抜けたりできないように仕切版が増設されている。

銭湯の機械化の大抵の物は、東京よりも大阪が早かったと聞いたことがある。関西の浴槽は構造上も汲み湯を前提にしているけど、循環設備が無く浴槽のお湯が濁っていた時代にも、カラン代わりの浴槽からの汲み湯が行われていたのだろうか。それとも、濾過&循環装置後の風習なのだろうか。

金曜日の19:05から20:10に滞在。相客は2人。外で写真を撮っている時、追って相方と合流してお世話になる旨話しておいた。そのせいか、上がった時には大将と女将さんが揃って遠来からの珍道中の我々をもてなしてくれた。恐らく我々の親と同世代。郷愁銭湯と相俟って、何か心暖かく優しい時間だった。

そう、実物は確認しなかったけど、駅前の市営住宅の一角に組合非加盟の「寿湯」という入浴施設があるようだ。

上がりの一杯は千日前の「海だるま」という海鮮系居酒屋。もう、22:30を経過しているのに、2時間制でいいかと念を押された。翌朝5:00までの営業のようだ。22:30なんて、繁華な千日前のこの店にとっては宵の口といった所なのだろう。韓国人、中国人と客層も多彩。なかなかいい居酒屋だった。

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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                           うだつNo.1銭湯かも知れない















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