差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2004年1月11日日曜日 23:24
宛先: 銭湯ML
件名: 大徳湯(横須賀市佐野町)

ナカムラです。

今日(1/10)は、「大徳湯(横須賀市佐野町)」に行ってきました。
衣笠駅(JR横須賀線)から15分くらいです。

佐野町の銭湯密集地域へ。旧「宝ノ湯」の建物は相変らずそのまま。ふと、建物に付いている電力メータに目をやると、結構な勢いで回転していた。住んでいる人がいるのかな。

「松の湯」の前は通らなかったけど、煙突からは煙が出ていた。
「常盤湯」の前は打ち水がしてあった。この銭湯に似合っている。
「のぼり雲」。昨年の12月にオープンしたスーパー銭湯(温泉)。
「斗の湯」。あいかわらず重厚な佇まい。

さて、大徳湯。隣の斗の湯からは100メートルくらいしか離れていない。行き止まりの細い路地の途中にある。暗い路地に蛍光灯が入っている行灯型の看板が立っている。屋号とともに、薬湯・バイブラバス・ジェット・・・等の設備が列記されている。

暖簾をくぐると、正面と右側に下足箱。恐らくフロント改築前からのもの、旧型のさくら錠がついている。左側に自動ドアがあって、入るとフロントになっている。しかし、幅は1間もない狭いもの。洗濯機と冷蔵庫、2、3脚の椅子があるのみ。

400円を払って、向かって左側の「男」の暖簾をくぐる。脱衣所は、2間四方の広さ。天井は低く、模様の入った石膏ボードの天板。壁も白っぽい柄の壁紙が張ってある。床は幅の狭い木を組んだ感じの新建材。いずれも一昔前の感じがするもの。

ロッカーはSakuraVのシリンダ錠がついたものが30個ほど。その上に14型のテレビが載って、今日初日の大相撲を映していた。「(テレビの)声を大きくしないで下さい。終わったら消して下さい」との貼り紙。貼り紙はもう1つ。「雨の降る夜は早めに入浴下さるようお願いします」というもの。一般的に雨の日は客足が少ないらしいので、早く閉めるのかな。

浴室は、幅2間、奥行3間の広さ。天井は2段型。ブルーと淡いブルーのペンキが綺麗に塗られている。

島カランは1つ。カラン数はセンターから4・4・3・4。カランは日の丸扇の刻印がある角型のものでブルーの6角形の取っ手が付いている。すべてのカランにシャワーが付いている。床のタイルは長方形のもの。壁は茶とベージュを基調としたものに替えられている。旧式のタイルはない。

浴槽は3つ。外壁側手前に薬湯(宝寿湯)。42度くらい。その奥正面左側に半分がバイブラになっている白湯。焚き出し口は檻になっていて、奥に何やら石が積んである。温度は44度くらいかな。その右、センター側に1人分の座風呂。2点ジェットに水枕が付いている。

ビジュアルは、北鎌倉の新世美術のペンキ絵。絵柄は白い山と流れる川。そのほとりに茅葺の民家というもの。女湯の方を見ると富士山の頂が見えた。男女境はよく見るモザイクタイル絵。山、湖、洋城というもの。

恐らく佐野町と隣の上町(うえまち)の銭湯密集地に多くある銭湯のうちで、一番改修されている銭湯かな。フロントの銭湯もここだけだし。そういった意味で特徴がない銭湯だった。

新潟出身の女将に聞くと、昭和30年に3代目の経営者として経営を引き継いだとのこと。「これで昨日まで商売してたのという汚い状況だったので直ぐに改築」、その後も2回の中普請をして、直近の改装は昭和63年。躯体と屋号は当初のものを引き継いでいる。

今50歳になる息子が高校生の時に、風呂屋は駄目になるから継がないと言われ頭にきたけど、今はそれが良かったと思うと。継いでいたら、どうにもならなかったよと。

近くのスーパー銭湯の影響を聞くと、「1000円出して毎日風呂いけないからね」と。もっとも、同湯でも毎日来てくれるお客さんは3人だけだと言っていた。

帰りは、旧柏木田(遊郭跡)、上町商店街と歩いて、当世館浴場の前にある「末広屋」という、洋食ござれ中華ござれの田舎風の食堂で休憩。老夫婦が大車輪のように働いていた。しゃきっとした顔だちの大将と、恐らく昔はかなり美人だったと思しき少し腰が曲がった女将。もつ煮込み定食、あじの南蛮漬け(自家製)、いかの塩辛(自家製)を食べながら冷酒を飲んでたけど、どれも飾らない味だけど、美味しかった。

今度、当世館浴場か桃の湯に行く時は半ライスにしよっと・・・。食べ過ぎた。



《2004.12.11》 〜松の湯(佐野町)に故笹野富輝氏のペンキ絵を撮影しに赴いた際に撮影












常盤湯


常盤湯


斗の湯