差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2010年9月29日水曜日 22:51
宛先: sento-freak@yahoogroups.jp
件名: 旧衛生湯(多治見市広小路)

ナカムラです。

今日(9/14)は、「旧衛生湯(多治見市広小路)」に行ってきました。 多治見駅(中央本線)から、0.8キロ、9分くらいです。

暑さと美濃焼きで有名な多治見。名古屋・錦のホテルから郊外に向かう電車に乗ると、近郊と は思えない山の中を暫く走り、多治見に着いた。

衛生湯の女将さんの話では、多治見に嫁いできた50年前は16軒の銭湯があったという。しか し、4年前に「松の湯」が廃業し、多治見市に銭湯は無くなっている。

今回の多治見での目的は、桑名遊廓、宇治山田古市遊廓に次ぎ、東濃随一の遊廓だった多治見 遊廓の跡と、「多治見温泉」、「衛生湯」、「松の湯」という3軒の廃業銭湯を見るというもの。

遊廓跡では、それと分かる建物は見つけられなかった。しかし、何でこんな所に旅館があるん だろうかという転業旅館の末裔たちや、「玉突」の看板を掲げた建物、写真館、廃業銭湯(多治 見温泉)などがあった。

商店街とは異なる一角に、遊廓の脇役たちが揃っている。向かい合わせに二つの理髪店があっ たり、情報交換の場所としての床屋が多いという往時の名残もあった。

多治見温泉、衛生湯、松の湯という順番で、ここ10年くらいのうちに銭湯の廃業が続いた。こ れら3軒の銭湯の大将は同級生同士。そして、理由は様々ながら、同じような時期に銭湯を続 けることができなくなった。。。

そのうちの一軒。名著「SENTO」にも掲載されている衛生湯の女将さんと話をすることができた。

同湯は、明治13年創業。現在の特徴ある建物は昭和26年築。ご主人の病気もあり2005年1月 19日の営業をもって長い歴史を閉じている。しかし、漆喰塗りの煙突こそ昨年の暮れに解体し たけど、その他はすべてが往時のまま残っている。

通された釜場が、京町家の通り庭のように使われているのに驚かされた。大きな貯湯タンクの 下には、簾を掛けたボイラー。それらの周辺には花が活けられ、天窓からの明かりがそれを照 らしている。テーブルや椅子が置かれた、そんな不思議な空間で、精米所を併設していた先代 建物の絵、写真、そして女将さんの絵などを拝見しながら、70歳代半くらいだろうか、あくま で上品な女将さんの話をうかがった。

最後に銭湯部分を見せて頂いた。脱衣所は近所の友人との語らいの場として、男湯は女将さん 専用のお風呂として、一番小さな電気風呂の浴槽が稼働していた。

女将さんは、小生の母とほぼ同世代で未亡人。銭湯というこの大きな空間で、ひとり風呂に入 る寂しいだろう心持ちを思うと、少し胸が痛んだ。

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
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旧多治見温泉


松の湯跡

旧衛生湯脇の飲み屋街