不動湯(藤沢市辻堂元町) 2008.05.25

雨の横浜を散歩した後、恵比寿・東京都写真美術館「森山大道展」に向かう。 アラーキーこと荒木経惟とともに、小生が最も傾倒した写真家だ。

昭和40年代半ば、森山氏の写真はグラフジャーナリズムとして広く流布していた。確証はないけど、学齢前に、あのスキャンダラスだけど、深く美しい写真が小生の脳裏に焼き付いたのだと思う。

最も写真が力を持っていた時代。小生の記憶の底に沈澱したのは、 間違いなく森山大道だったと思う。

本格的にカメラを手にしてから、写真史を遡り、「森山大道」に再会した。 アレ・ブレ・ボケの写真で世に出ながら、実は高度な暗室技術の持ち主でもある。あの独特の写真がななかな真似できないのは、フィルムはバケツで現像しようとも、高度なプリント技術に支えられているからだ。

新作「ハワイ」もやはり「フイルム」での撮影だった。カメラは相変わらずリコーのGR-1。モノクロフィルムの粒子に懐かしさとエクスタシーを感じる。やはりフォトショップで加える疑似的なノイズとは違う。

最近の写真界の動向は知らないけど、氏の写真展に若い人が多かったのに驚いた。各写真美術館が個人展を開催するほどの大家なので、当たり前なのかも知れないけど、リアルで氏の写真に接した団塊の世代よりも、圧倒的に若い人が多い。


そして、たまたま美術館ではJPS(日本写真家協会)の公募展もやっていて、そのイベントの一環として、鉄道写真の第一人者、広田尚敬氏の講演が始まるところだった。

20年ほど前、ある写真サークルに属していて、氏の指導を受けていた。 「美しい写真ですね・・・。でも、ポリシーがない。」とコメントを頂いたことがある。



たとえそれが廃墟だとしても、綺麗な写真を追求していた。
しかし、強く訴えるものを持たない、ただ綺麗なだけで終わっていたということだろう。
それなりに自信が芽生えていた頃だったので堪えたことを憶えている。

社会に出ても、ある意味で創造的な仕事が多かったけど、やはりポリシーが無いと批判されることが何回もあった。
写真も仕事も、一貫した強い動機が必要なのかも知れない。
あの頃から、あまり成長していないのかも。

広田氏には、当時、駅の写真が多かったけど、鉄道写真の年賀状をお送りしていた。
氏は鉄道写真の大家だけど、若い人には熱心でいつも優しい。
自筆で丁寧に写真への感想が綴られてきた。

お会いするのは10数年ぶり。
デジタルの話を伺うのは初めてで興味深かった。


《前回訪問:2008.05.18》





広田尚敬氏