差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2004年11月21日日曜日 0:24
宛先: 銭湯ML
件名: 日の出湯(川崎市幸区)

ナカムラです。

今日(11/19)は、「日の出湯(川崎市幸区)」に行ってきました。
川崎駅(西口)から、54系統元住吉行のバスに乗り、小倉下町という、いかにも「下町」というバス停で降ります。

バス停の正面には、旧新鶴見操車場跡の広大な闇がある。
そして、ほのかに浮かぶ古い跨線橋。
対岸の緩い勾配の高架橋に、15両の横須賀線電車が、明かりを点けて幻想的に流れていく。
ヘッドフォンステレオで、中島美香の「冬の華」を聞きながら、しばらく眺めていた。

古い跨線橋(江ヶ崎跨線橋)は、趣があって、存在感もある。
明治29年の英国製の橋で、国有化される前の旧日本鉄道が、常磐線の隅田川に架橋したもの。
さらに、荒川に架けたものなど幹線の鉄道橋の転用、寄せ集め。
でも、貴重な産業遺産。

実用面では、クルマがすれ違うのにやっとの幅。
雨の夜、歩くのはやや危険な感じがした。

さて、日の出湯。
バス停から3分程度、かつて商店街だった道筋にある。
昔は商店街だった通りも、21:00に明かりを灯しているのは、同湯と、すぐ先、横浜市との市境にあるセブン・イレブンくらい。

同湯が創業した昭和36年には、たばこ屋、米屋、一杯飲み屋、八百屋、魚屋、乾物屋、寿司屋、肉屋、お菓子屋、パン屋などがこの道筋にあったのだろう。
小生の育った所もこんなところだったけど、銭湯を含め、すべての店、つまりは商店街が消滅した。

同湯の入口棟は大きな唐破風の黒瓦。懸魚もある。
その上には大きな千鳥破風を載せた脱衣所棟。
大きいし、なかなか立派な佇まい。

暖簾をくぐると、正面には傘を付き差す式の傘入れ。錠は「MON」。
下足箱の錠はカナリア。
番台への戸は、ガラスを嵌めた木戸だけど、川崎の銭湯の多くにあるように自動ドアになっている。
番台は四角い木組みのもの。雲形の仕切りもある。高さは低い。

女将に400円を払う。
脱衣所の広さは幅3間半、奥行4間と大きい。
天井は、檜なのかな、平らで大きな天板が両開き、少しの傾斜を持って張られている。

相客は浴室に1人居るだけ。
音を発するものはない。静寂な脱衣所。
島ロッカーが縦置きに1つと外壁側にもロッカー。錠は「TOKYO」。
隅に脱衣籠も10個ほど積まれている。

その他、旧型のマッサージ機、Keihokuのアナログ体重計などがある。
そう、立派な柱時計が現役で、振り子を揺らしている。
2週間に1ぺんゼンマイを巻かなければいけないらしい。でも、面倒とは思わないと。
昭和39年の新潟地震の時に故障したらしく、少しの地震でも、壊れまではしないけど止まってしまうらしい。

浴室は、幅3間半、奥行4間。
天井は、ウィングが1間半、高い天井が4間四方の体育館型。
かなりペンキにはくすみが出てきているし、大きさの割りに照明が少ないせいか、明るくない浴室。
最近は蛍光灯も3種類の色が選べるから、電球色の蛍光灯にすれば、かなり雰囲気も変るんだろうけど・・・。

島カランは三角鏡が付いたもの2列。
カラン数は6・5・5・5・0・5。
カランはWaguriの旧型で管の断面が野球のホームベースの形をしたもの。

床のタイルは、開業時からのオリジナルだと思う。
3センチ四方の白タイル。
洗い湯を流す溝も、U字型の厚手の白タイルが張られている。
ただ、床はやや波打っているし、洗い湯を流す溝も湯が滞る。

脱衣所との境には、洗い湯を流す幅のある深い溝があるけど、その蓋が、真鍮の打ち抜きの古風なもの。
水飲みがあるのも少し珍しいかな。

男女境はモスグリーンの1センチ角のタイルがレトロな感じを出している。
その上には、ティアラをデザインしたようなマジョリカタイルが並んでいる。

浴槽は3槽。
センター側はバスクリーン、41度。
真中は穏やかな床バブル43度。
外壁側はバイブラバスと2穴ジェットが2機、42度くらい。
気が付かなかったけど、後で聞いたら、薪焚きらしい。

ビジュアルは中島師の富士山と海の図。
ブリキに描かれていて、それなりにくすんできている。
それに、最近のものと比べると、だいぶ大味な感じがする。

「川崎の銭湯マップ」では、24:00までとなっているけど、22:30か23:00には仕舞うと言っていた。
大型で立派な銭湯なのに、客が少ない・・・。
ご主人は身体の自由が利かなくなってきたらしいし、ちょっと厳しい印象を受けた。

帰りは、新川崎駅(横須賀線)まで、2キロほど。
身体が冷え切ってしまった。
なんか、冬に向けて、いつものことだけど、人恋しいな。