差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2005年6月26日日曜日 14:53
宛先: 銭湯ML
件名: 保土ヶ谷浴場(横浜市保土ケ谷区天王町)

ナカムラです。

今日(6/25)は、「保土ヶ谷浴場(横浜市保土ケ谷区天王町)」に行ってきました。
保土ヶ谷駅から1.5キロ、20分程度です。最寄駅は天王町駅(相模鉄道)で、5分くらいです。

昭和25年築の欅材をふんだんに使用した大型銭湯。
隣地の横浜信用金庫は同湯の庭だったというから、ひょっとしたら、北千住のタカラ湯に負けないほどの庭があったのかも知れない。
最大のポイントは、今はとても貴重になった、北鎌倉・新世美術の故笹野富輝氏のペンキ絵があること。最晩年の作だろうし、大型の作でもある。
かつては、西区で「大黒湯」、淵野辺でももう1軒、計3軒の銭湯を経営していた。

旧東海道から2軒分入ったところに、こんもりとした杜がある。
近づくと、油井型かつミニタリー仕様的な煙突があり、木々の緑は同湯の敷地に生えているものだと判る。

脱衣所棟は、黒瓦を載せた切妻屋根。それに大型の入母屋屋根のエントランス棟が付いている。
入口は少し奥に引っ込んでいて、アプローチの両サイドには大きなな庭石を配している。実に見事。

「保土ヶ谷浴場」と染め抜かれた暖簾をくぐると、エントランススペースの広さに驚く。
おしどり錠が整然と並ぶ。天井も立派だ。

番台は簡素ながら木組みのしっかりとしたもの。大型銭湯だけど、おっと思うほど低い。
それゆえ、女湯への視界を遮るために、出入り口の向こうに大きな衝立が立っている。
女将と世話話に興じている間に、何人か若い女性も通り過ぎて行く。若い女性にも受け入れられている銭湯のようだ。

脱衣所は、一部増築があり、幅3間強、奥行3間。
天井は、天井扇の跡か照明の跡か、その吊り下げ部分が広くなっている変則的な格天井。
昭和25年築、折り上げが流行る前だったのか、折り上げはない。
天井・柱・梁と主用な部材は、すべて欅とのことだけど、雨漏り跡がひどく塗装を施したので木目は消されてしまっている。

浴室は、幅3間、奥行3間。天井は高さ3間はある大型の2段型。ウィングのみならず、高い天井も緩やかに弧を描いている。
白いペンキは、結構草臥れているけど、構造的にどことなく気品を留めている。

島カランは1列で、カラン数はセンターから7・6・6・5。外壁側に2機の立ちシャワーがある。
タイル類は更新されていて、見るべきものはない。

浴槽は深浅2槽。
浅槽がパイプで仕切られ、バイブラとジェット。43度くらい。
深槽は、実母散湯で42度くらい。実母散湯に入るのは久し振り。

ビジュアルは、北鎌倉。新世美術のペンキ絵。それも、画風からして故笹野富輝氏が描いたものだと思う。
同氏は平成6年7月に亡くなられているので、最晩年の作だし、稀有な大型のものだと思う。

「松の湯(横須賀市佐野)」に描かれた富士の方が優美さで勝るものの、横須賀銭湯と異なり、ここは大型銭湯につき、大きさでは軍配が上がる。
それと、市電が走っていたような生粋の横浜で、新世美術のペンキ絵に出合うのは初めてかも知れない。

同湯とほぼ同様の広さがある隣地横浜信用金庫は同湯の旧男湯の庭だったらしい。さぞ立派な庭だったと思われる。
現在は、男湯と女湯を入れ替えていている。
現在の男湯(旧女湯)の庭にも、結構立派な池と瀧の跡がある。しかし、使われていないし、清掃も行き届いていない。

家主とともに、家も庭も、歳を取っていくと感じている。
昔訪れたときは、手入れが行き届いていた庭も、主が歳を取ると、枯れ葉や雑草が目立ってくる。
同湯をそれになぞらえるのは失礼だけど、なんかそんなことが思い返された。

上がりは、カナダドライのジンジャエール120円。
近くの洪福寺松原商店街を散策する。旧東海道に広がる松原商店街。活気ある商店街で有名だけど、アーケードもない商店街に商品と買い物客がごった返している。
阪東橋の横浜橋商店街も活気があるけど、いにしえ度からすれば、この商店街が上を行くかな。なんか、とても懐かしい風景だった。

洪福寺バス停から保土ヶ谷駅へ。
横須賀線で大船駅に行き、何週間振りかで「観音食堂」で一杯。
少し飲みすぎたかも知れない。




釜場への戸の上にも色ガラスを嵌めた、
デザイン的なものになっている。


女湯の富士山。女将に頂いた写真のコピー。
恐らく、笹野富輝氏の作と思われる。


主とともに歳を取った風情がある庭の滝・池の跡。


煙突のてっぺんに保守設備を載せた煙突。
軍事基地に見えてしまう。


浅間町5丁目。昔の繁華街か独特の建物がいくつかあった。


同湯隣の横浜信用金庫(保土ヶ谷支店)。
同湯の庭だったとのこと。

保土ケ谷区天王町(てんのうちょう) [昭和2年10月1日設置]

町名の由来
 昭和2年の横浜市編入の際、帷子(かたびら)町の一部から新設された町です。古くは保土ケ谷町字帷子(かたびら)町の内で、昭和2年10月1日の町界町名地番整理事業の施行に伴い、帷子(かたびら)町字外原田、宮田、神田、町並、古町通、川邊(べ)の町区域に天王町を設けました。

町名は町内の橘樹(たちばな)神社(牛頭(ごず)天王社)に因(ちな)んで名付けられました。

町に1丁目・2丁目の字区域があります。南側を帷子(かたびら)川が流れ、相鉄本線が通り、天王町駅、保土ケ谷区で最も古い庚申石塔が境内にある橘樹(たちばな)神社があります。

「横浜の町名」(横浜市市民局)より



松原商店街。縦の道筋が旧東海道。
並んでいる商品は新鮮だし、安い。
惣菜などは、昔懐かしいものがあちこちの店にある。


杜の中にある保土ヶ谷浴場。


大船・観音食堂。今日は、こはだ酢、ししゃも、すじこ丼。