差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2005年7月16日土曜日 14:41
宛先: 銭湯ML
件名: 入船湯(中央区入船)

ナカムラです。

今日(7/12)は、「入船湯(中央区入船)」に行ってきました。
新富町駅(東京メトロ)から、0.2キロ、2分くらいです。

同湯は、平成2年に出来た公設(中央区営)の銭湯。
日本生命保険の大型の投資用テナントビルに入居しているという稀有な銭湯でもある。

かつてこの地には、この大型ビルの一部の敷地に、帝冠様式とでもいう、和洋折衷のファッサードと持つ「繁の湯」があった。
そんな経緯からか、同湯は区営の銭湯であるが運営は旧繁の湯に委ねられている。

日本生命がバブル期に建てた建物だけあって立派だ。
同湯は、駐車場の入口脇のビルの側面後方から地下へ降りていく。
途中に、踊り場が2度あって、地下1.5階という位置にある。機械関係はさらにその下にあるらしい。

下足箱は扉がアクリルでできた松竹の板鍵がついたもの。
フロントスペースが広いし、予想していたよりも、小ぎれいなことに驚かされる。

テレビこそないけど、扇形のフロントは洒落ているし、その後ろには充実の風呂用品が並んでいる。
同じ公設の銀座湯は、飲み物すらなかった。美濃部都政がかかわったらしい銀座湯と出自も違うのだろう。ここは充実している。
さすがにビールは無かったが・・・。

若女将がちゃきちゃきした人で素敵だった。
小生より少し年上かな。
中学校に上がり、誰しもが3年生の大人びた女子生徒に憧れたりする。
脈絡が無いけど、なんかそんなことを思い出した・・・。

鉄のスライドドアの横に大きく「男湯」と書かれている。
脱衣所は、松竹シリンダ錠のロッカーと扇風機、デジタル体重計があるだけの殺風景の空間だけど、床が変わっていた。
木製ニス塗りの凝ったタイルが敷きつけられている。足ざわり的にはいまいちだけど、結構高価なものだろう。さすが、バブル期の仕様。

さて浴室。
広さは、幅2間半、奥行3間。天井は船底型で、周辺部は高さ1間強とさすがに低い。
島カランは1列で、カラン数は、8・5・5。
なぜか、桶と椅子がたくさん積まれている。カランの数だけあるようだ。

浴槽は、向かって右側に縦に配置してある。
深浅2槽。浅槽は2穴ジェット2機で温度は43度強と思いのほか高い。
深槽は44度くらいとこっちも高い。下町の伝統が受け継がれているようだ。

眼を引くのは、浴槽の縁は肉厚の大理石。こんなものは銭湯で初めての遭遇かも知れない。
浴槽の中の座る部分も大理石。シャワーブースもやはり肉厚の大理石。
ここは、区営の銭湯なんだが・・・。

ビジュアルが同湯の最大の見所で、浴槽の後ろに4代目歌川国政が描いた浮世絵を陶板に焼付けた絵がある。
「新規造掛永代橋往来繁華佃海沖遠望之図」(明治8年8月)。
見たこともないタイル絵。恐らくかなり高価なものだと思う。
寄贈/株式会社兼/日本生命/フジタとなっている。

このビルの建設に係わったメンツだろうけど、何故、公設の浴場に寄贈されているのか。
若女将に尋ねたけど、分からないとのことだった。もう15年も前の話か・・・。

公設の地下にあるビル銭ということで、何の期待感もなかったが、以外に清潔でいい銭湯だった。
なにしろ、気風のいい若女将に惹かれる。

新富町の交差点には、「正金アパート(昭和6年築)」という旧同潤会アパートのような古いアパートがあり、1階に洒落た店が入っていた。
会社から歩いて行けるし、これらの店とセットで、また行かなきゃ。




旧繁の湯
*『銭湯へ行こう・旅情編(町田忍/著・写真)』より。






昭和初期のアパート「正金アパート」に入る店。


八丁堀の「バー・マル」


四代目・歌川国政
「新規造掛永代橋往来繁華佃海沖遠望之図」