旧亀有楽天地界隈(葛飾区亀有) 2008.06.28

昭和13年に日立製作所・亀有工場が出来て、戦後しばらくして土浦工場に移って行くまで、約2万人という亀有の住人の2倍もの日立の工場労働者が流入して、この町で働いていた。

そして、亀有三丁目の赤線跡(亀有特殊飲食店街「亀有楽天地」)は、玉の井を戦災で焼け出された業者が、銘酒屋開業の許可を得て昭和20年8月に、業者12名、接客婦50名で開業したことに始まる。日立・亀有工場の「日立青年学校」の寮(日立荘、平和荘、夕暮荘、曙荘、夕立荘など)建物を転用して戦後開業した。「分富」「山富」「キューピー」「松竹」「桃源」「黒猫」「曙」などの店があったようだ。

残念ながら目当てのエリアは最近に解体されたらしく、改築建物の基礎工事の真っ最中だった。






側面に「トルコ」の文字が残る。


細長い敷地に私道に沿って飲食店が連なっていたようだ。
地上げされ、新しい建物の基礎工事が行われていた。