差出人: Masayuki Nakamura <masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp>
送信日時: 2013年2月5日火曜日 22:43
宛先: sento-freak@yahoogroups.jp
件名: 神原湯(呉市宮原)

ナカムラです。

今日(12/25)は、「神原湯(呉市宮原)」に行ってきました。 呉駅(呉線)から、1.2キロ、15分くらいです。

ホテルを出てまずは村野藤吾設計の平和記念大聖堂(カトリック幟町教会)を見に行く。戦後のコ ンクリートの建物ながら、広島平和記念資料館(丹下健三設計)とともに重要文化財に指定されて いる希有な建物だ。外観を眺める程度の心積もりだったけど、午前10時に鐘楼の鐘がガランガラン と鳴り出した。昼の部のクリスマス礼拝が開始される合図だった。小生たちも、司教が聖堂に入っ て行く列に従い、クリスマスのミサに参加した。

教会建築に”和”を取り入れた村野独特の空間。そして、荘厳で印象的な礼拝。通常の礼拝は、地 下にある小さな礼拝堂で行われる。主教堂のクリスマス礼拝に参加出来たのは幸運だった。そして、 さらに幸運なことが。数々の村野建築を見てこられた、小生と同様の”村野マニア”の教会員のK 氏の案内で、この重要文化財をくまなく拝見させて頂いた。”階段の魔術師”による螺旋階段が、や はり鐘楼の奥に秘められていた。まさに至福の時間だった。

そして、平和記念公園、資料館などを見学。核兵器の恐ろしさを改めて認識させられる。しかし、” 平和記念公園”に変貌した爆心地の古地図を眺めながらも、目で追っているのはついつい銭湯の有 無。桜湯、菊乃湯・・・。平和記念公園になった地域は、映画館なども並ぶ歓楽街。そこに何軒か の銭湯を見つけることが出来た。

広島市街での探訪ツアーを終え、軍都、呉に移動。呉駅は単線の割に大きな駅。傍らに呉そごうも あるけど、1月末に閉店。田舎の駅前の大きな建物。次なる用途に注目が集まっている。

さて、神原湯。同湯のある宮原町は、戦艦大和が建造された旧海軍工廠(現IHIマリンユナイテッ ド)のドッグを見下ろす高台に細長く延びる町。尾根をへつるように、1丁目から11丁目まであっ て、それぞれに銭湯があったという。しかし、この10月に7丁目の石川湯が、ボイラーの不調で廃 業。残るは、5丁目、ドッグの真上の同湯1軒だけになった。

屋号の”神原”は、宮原5丁目の上に広がる神原町から来ている。急坂の広くはない表通りから、 原付がやっと通れる細い道に少し入った所にある。呉は尾道や長崎などと同じく坂の町。そんな坂 道ばかりだ。

基部が煉瓦積みの煙突が見えて来た。基部から伸びた黒く煤けたパイプは、破れているかのような 趣。建物は、黒瓦を載せた妻入の脱衣所棟に、小さいながらも入母屋屋根を戴く、風格十分のエン トランスが付いている。

昭和初期だろうか、戦前築の銭湯。広島県で1、2を争う古株だろう。マジョリカタイルの装飾を挟 み、男湯・女湯の、2つ並ぶ斜め棒の洋風の古いドアが何とも印象的。正月の営業日程が張り出さ れ、道行く人が足を止めたりしている。

ギーっと音を鳴らしながら扉を引くと、半間四方のコンクリのたたきと木組みのどっしりとした番 台。どちらも、エントランス部に入っているので、天井が低い。

先ほど外で挨拶を交わした大将は、”中の写真を撮るだけ撮ったら、寒いので入浴しなくてもいいよ” と言う。この台詞、数年前に来た時と同じだ。前回は言葉に甘えて、石敷き浴室の石川湯に入った。 今回は、改めて、同湯に入るために呉にやって来た。

女湯のやはり狭いたたきから、相方が2人分の銭湯料金800円を払う。下足箱は、洋館で見られる ような見事な彫刻がある男女境の鏡の下に並ぶ。錠はなく、蓋に漢数字を記したもので、蓋を持ち 上げるもの。この気品と風格ある下足箱は日本屈指だろう。

脱衣所の広さは、幅2間半、奥行3間ほど。入口方の角の柱は床柱のように凝った材料が使われて いる。高さ2間弱の天井はフラットな天板。そして、島ロッカーなどない空間に、使い込まれ、黒 くなった板の間が広がる。シンプルな空間だ。

ロッカーは、壁一面に、錠はなく鍵穴だけがあるオール木製のロッカー。内部には簀の子が敷いて ある。そして、鍵が無いので扉が完全には閉まらない。。。

浴室は、幅2間半、奥行4間ほど。天井は木板張りの四角錘型で、中央に湯気抜きがある。釜場が、 中央の男女境に沿って張り出している。そのため、1段高くなっている浴室の奥が、半間弱、すぼ まっている。

壁は時代を経てきたことを感じさせる中判の白タイル。その上部に緑の菱形模様をあしらったマジ ョリカタイルが走る。床も正八角形のライトブルーと正方形の濃紺を組み合わせたレトロなものだ。

カランは、センターに立って使うものが3機と、外壁側に4機とシャワー2機。さらに、1段高くな った奥に、丸みを帯びた形で全面に三角タイルが張られているというタイルまみれのオブジェみた いな短い島カランがあって、5機のカランがある。いずれも、カランの下に洗い湯を流す溝がない 古い構造だ。

浴槽は、中央、男女境に接して1間四方の主浴槽。そこに井戸を重油で沸かした42度強のお湯が満 たされている。水温18度。この季節湯気が立つといういい井戸(東郷〔元帥〕井戸)もあるけど、 水量の関係からか8年ほど前からは使っていないという。ちなみに、呉の旧市街の水道網は、海軍 要塞であったために何重にもバックアップされ頑健だ。今はその水道水を沸かしている。

さらに、奥壁に接して大きな石造の衝立を持つ副浴槽がある。「緑の温泉」や「草津の湯」といった、 入浴剤の古いホーロー看板が残っている。かつては薬湯槽として使われていたのだろう。今は物置 きになっている。この浴槽の内側に、本業タイルという紺色の模様の古いタイルが使われている。 原始的なプリント手法によって、昭和初期頃に製造されていたものという。同湯の建築年代を示す ものと言っていいと思う。

ビジュアルは、奥壁の上部に「三和自動車学校」の広告が入った、高嶺、川、森という絵柄のペン キ絵。看板屋さんによるものだろうけど、なかなかいいものだ。

上がりは、瓶牛乳を頂いた。去年呉に来た時に、甘酒に似てほんのり甘い「げんまい乳」というの を買った。近くで造られていたようで、同湯のメニューにもあったけど、後継者がなくて廃業した という。地元では長らく親しまれたものなのか、大将の表情がどことなく寂しそうだった。ラムネ も、瓶の破損が多くなったので仕入れるのを止めたという。。。

火曜日の17:00から18:00に滞在。細い路地に面する伝統的木造銭湯にして、広島きっての古銭湯。 男女境の彫刻、下足箱、マジョリカタイルなど、いずれもがイニシエの姿で残っている。呉のドッ グを見下ろす高台というロケーションもあって、小生が今年訪れた銭湯のなかで、最も印象に残る 第一級の郷愁銭湯だった。

上がりの一杯は、駅までの道すがらにある「海軍さんの麦酒館」。何種類かのタイプの地麦酒を飲む ことができて、出色の旨さだった。

《前回訪問:2006.09.18.》

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
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URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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    原付がやっと通れる細い路地に面している









                  戦艦大和を建造した旧海軍工廠のドック