差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2005年5月4日水曜日 16:59
宛先: 銭湯ML
件名: 刈谷浴場(刈谷市新栄町)

ナカムラです。

今日(4/30)は、「刈谷浴場(刈谷市新栄町)」に行ってきました。
刈谷市駅(名鉄犬山線)から、0.8キロ、10分程度です。

刈谷の中心は、今は刈谷市駅よりも刈谷駅に移っている。
しかし、同湯がある場所は、今では「商店街」とは呼べない商店街だけど、かつては刈谷の商業的中心地だったようだ。
煙突は油井型。しかし、肝心の煙突が油井部分の半分もなくて、初めは同湯ではない廃業銭湯のものかと思った。

先般75歳で亡くなられた先代が、俺より古いと言っていたらしい大正12築のレトロ銭湯。
独特のファッサードは昭和27年頃の増築。

この意匠はどこかで見たことがあるなぁ。
倉本聰脚本のTVドラマ「昨日、悲別で(昭和59年)」に出てきた、「悲別ロマン座(旧住友炭礦上歌会館)〔S29(1954)〕」に似ている。
建てられた年代も近い。

入口は2つあるものの中で繋がっている。入口の戸は、東京銭湯の暖簾のような機能でしかない。
西部劇に出てくるような、ウエスタン調の扉はサブなのかな。メインの扉の奥に折り込まれていた。あるいは使われていないのかも知れない。
中には、エントランススペースがあって、両側に金属の扉を引き上げる式の下足箱がある。

タタキから番台へと向かうが、戸はない。
また、番台が何とも変わった構造になっていて、上にアーチが架かっている。
構造は正に「番台」だけど、印象としてはカウンターに近い。

写真を撮らせてほしいとお願いすると、写真撮るだけだったらお金は要らないよと。
初めての反応だな・・・。

もちろん入浴が目的なので、ほぼ同年代の女将に300円を渡す。お互いに少し恥ずかしい。
刈谷市で1軒になったので、組合に加入せず、300円に据え置いているとのことだった。
Tシャツを腕まくりした、なかなかチャキチャキとした女将さん。
同湯の娘さんで、最近、手伝うようになったらしい。

脱衣所の広はさは、幅2間半、奥行は緩衝スペース半間を入れて都合3間になっている。
天井は最高部のセンター部で2間の高さ。
全体がコンクリで造られている。昭和34年の伊勢湾台風の時にはここに大勢の人が避難したらしい。

最大の特徴は、この建物がギリシャ神殿を模して作られているということだろう。
男女境には、都合4本の列柱が配されている。
補修で埋められている部分があるものの、列柱のデザインは、華やかなコリント式のデザインとなっている。
浴槽のデザインとも符合する造りになっている。

しかし、どういう経緯で、大正の終わりの地方都市で、こんなものが建てられたんだろうか。
旧上天温泉(昭和2年)を設計した大中肇という建築家がいて、1919年から愛知県営繕課の技手として刈谷にモダニズムを移植した。
刈谷浴場は大中肇の設計という情報はないけど、間接的にでも関係したのかも知れない、そんな気がする。

ロッカーは、緑と黄色という独特の塗装のオール木製ロッカー。
錠はSEKIYA。板鍵にその数倍の重さの木札がついている。こんなの初めてだ。
おもわず、相客に浴室に持ち込んで構わないのか確認してしまった。

そして、奥行き半間の緩衝地帯と脱衣所の境には、モザイクタイル絵を設えた小さな境がある。
抽象的な絵柄で、よく見たけど、何が描かれているか理解できなかった。
緩衝地帯は、片方が流しなのは普通だけど、外壁側に使用されていないようだけど、立ちシャワーがある。

さて浴室。
浴室の広さは幅2間半、奥行3間。天井はコンクリで、真中に湯気抜きがある。ペンキはボロボロ。コンクリ自体も一部に崩落が見られる。地震がきたらヤバいかも知れない。
カランは、外壁側に、電気風呂を挟んで、3+4になっている。
カランは家庭用の蛇口1つというのも凄いし、いつまでも湯にならないというのも凄い。(しばらくすれば湯になるのかも知れないが・・・。)
仕方ないので、ご常連とともに、湯船の湯を掬って頭、身体を洗う。

中型の銭湯だけど、湯船が5つもある。
最近の銭湯は、客が減ったので、従来の収容人数重視から、カラン数を減らし風呂を大きくしている。
同湯は、はるか昔から、現在のトレンドを先取り?している。

外壁側中央に、効きの弱いデンキ風呂。41度くらい。
奥壁側には、扇形のメインの浴槽。42度弱。
そして、男女境側に3槽。温度は、どう考えても40度を大きく下回る、風呂とはいい難い温度だった。

ビジュアルは、奥壁側にアーチが切ってあって、その間にチップタイル絵。
そして、真中寄りに壷を肩にかけた女神が立っている。
神殿の風呂をイメージしているのだろう。んー、独特だ・・・。

上がりは、オレンジジュース。
名古屋牛乳のケースはあるものの牛乳類はなかった。
女将は100円を受け取ろうとしなかったが、また来るからと言って納めてもらった。

番台の女将の話相手は、女湯の女子高生くらいの可愛い子。
こんな、壮絶レトロ銭湯に、若いくて可愛い子が居ることに驚いた。
女将の計らいで、話の輪に招き入れられる。番台を挟んで、女湯の客と話をするのは初めての経験。
だからどうしたということはないけど、新鮮な経験だった。

後で、彼女が駐車場のクルマに乗り込む時に声をかけたら、同湯の孫娘ということだった。
そうだよな・・・。
若いくて可愛い子が通うには、刈谷浴場は壮絶に過ぎる。

帰りは、刈谷駅の方に歩き、駅近くの居酒屋「あお喜」に入る。おまかせ5品で1800円。
三河湾のめばるの煮付けや赤車(あかしゃ)エビのから揚げなど、どれも満足のいくものだった。

刈谷浴場の話で盛り上がり、遊廓の話や廃業銭湯の話を伺った。
おまけに、女将のおごりでビールが出てきたり、楽しかった。




列柱の上部にはコリント式の紋様がある。
女湯の方がオリジナルが残っているとのことだった。


緩衝スペースにあるモザイクタイル絵。


緩衝スペースにあるシャワーとモザイクタイル絵。


神殿をイメージした内装になっている。


この浴槽はほとんでお湯とは言えない温度だった。


電気風呂






子供の目が黒く塗られているのはイタズラかと思ったけど、龍城温泉のも同様に黒く塗られていた。