横須賀・柏木田(横須賀市上町) H15.8.23

軍都横須賀の遊廓だった場所。明治時代には横須賀中央の大滝町にあった遊廓は、柏木田に移された。
しかし、関東大震災で倒壊した建物が多く、遊廓としてはその頃から衰退していったようだ。
カフェー街として発展した安浦に比べ、建物面では、その痕跡が乏しかった。

初めて訪れるとにき「昔、柏木田と呼ばれた辺りはどこですか」と年配の何人かに聞いたが、眉を顰められたり、知らないと言われたりした。
横須賀は、よそ者には閉鎖的に地といわれるが、確かにそんな印象を受けた。(銭湯や飲み屋では違う印象だけど・・・。)



柏木田(手前)への入口である大門があった。
左手が、作家・山口瞳の母の生家「藤松楼」だった場所。


柏木田の出口から大門方向を望む。
長さ200メートルくらいか。住宅地に突然現れる幅員がある道である。
遊廓時代には、真中には桜並木があった。




福助ホテル。
用途不明だけど、遺構といっていいだろう。


カフェーの名残なのか、壁が紫色をしているアパート。








妓楼跡は何故か駐車場とされている土地が多い。
女郎屋(=人買い)という怨念が渦巻く土地柄からか。


遊女は客の取った食事(台の物)を食べるのみだった。
客が付かなければ、食事にもありつけない。
体を壊しても医者に診てもらえるわけでもなく、
病気になれば文字通り投げ捨てられた。


カフェー調の建物










斗の湯向かいの妙栄寺
藤松楼(羽仏家)の墓の隣に岡泉楼由来の墓があった。
当時の使用人も一緒に供養している。

あるおたくの祠の幟に「大阪屋」の名前があった。
柏木田にあった妓楼の屋号。