差出人: Masayuki Nakamura <masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp>
送信日時: 2012年5月3日木曜日 12:34
宛先: sento-freak@yahoogroups.jp
件名: 喜與の湯(茨城県結城市浦町)

ナカムラです。

今日(4/29)は、「喜與の湯(茨城県結城市浦町)」に行ってきました。 結城駅(水戸線)から、0.5キロ、6分くらいです。

最近はめっきり出無精になってしまった。今日は、昨年の暮れに九州の銭湯に行って以来の東京、 埼玉、神奈川以外の地方銭湯へ。ゴールデンウィークは交通機関が混雑するので、遠出とは言って も近郊電車で移動できる北関東へ向かう。案外に古い建物が残っているので、気になる街も多い。

今日の主要なミッションは益子の陶器市。春と秋の2回開催されているようで、去年の春にも行く 予定をしていた。結城にホテルを取って1泊2日のツアーを組んでいたけど、結局は原発の影響が あって中止した経緯がある。

赤羽駅から宇都宮線の鈍行で小山駅まで。そして、初めて乗る水戸線で下館まで行き、これまた初 めて乗る真岡鉄道で益子駅まで。陶器市は500店もの出店があるらしい。しかし、規模と人出は凄 いものがあったけど日差しの強さと人混みで”掘り出し物”を丹念に探し出すほどの気合いはなく、 散歩していたというのが当っているかも知れない。

会場付近は道路が拡幅されたらしく面白みのない建物ばかり。その前後は商店の廃墟が多く、廃れ た風景という北関東の多くの街で見ることができる寂しい光景が並んでいた。

ようやくこの歳になって、いい器で食べたいと思うようになってきた。しかし、目利きでないせい か、惹かれる器は極少数だった。結局、アイスコーヒー用にとやや洋風の趣のカップを2つ買った。 若い感じの作家で、陶器を英字新聞で包んでくれた。帰ってWebで検索すると芸大出の陶芸家だっ た。

さて、日暮れ時の時間を逆算して、銭湯体制に入る。国立天文台のサイトで日の入り時刻を確認す ると18:24。だいぶ日が長くなった。益子で喜與の湯に電話をかけたものの、ご高齢の大女将とは コミュニケーションが成立しなかった。仕方なく、セカンド目的地の下館・松の湯にも電話を入れ たけど、定休日が日・火・木と週3日もあって、今日は生憎の日曜日。結城に行って開いていなか ったらサード目的地の小山・幸の湯に行くかと考えながら結城に向かった。

結城は”結城紬”で栄えた街だ。知らなかったけど蔵の街でもあって、戦災に遭わなかったため街 のそここに登録有形文化財の建物が並んでいる。しかし、駅前の風景は下館もそうだったけど、再 開発ビルからテナントの撤退が続き空室が多い建物が著しく景観を損ねている。。。

少し遠回りして文化財の建物を10軒以上は眺めただろうか。同湯の住所をGoogleなどで検索する と該当がなくて苦労する。蔵が並ぶ通りを抜けて、蛭子神社まで出れば、その参道の傍らが喜與の 湯だった。

煙突を見上げても煙を確認できなかった。胸の鼓動が段々とドキドキしてくるのが分る。まぁ、状 況が変わるわけでもないので蛭子神社の参道で煙突を撮影していると、相方が表に回って暖簾が掛 っているのを確認して両手で大きくマルのサインを送ってくれた。早出して一日歩いたのでそれな りに疲れている。一番の目的地であるこの郷愁銭湯で疲れを癒せることに安堵する。

細い路地の奥に2階建ての木造の建物。元々はどんな外観だったのだろうか。いわゆる銭湯然とし た建物ではない。さらに、今は外装が茶色のトタン張りに変わっている。しかし、「草津温泉 喜與 の湯」と墨書体のボロボロの看板、女湯の窓の目隠しは木板でこしらえたもの。そして、屋号を記 した洗い晒しの紺色のオリジナル暖簾が揺れている。

サッシの戸を開けると下部が靴棚になっている番台。側面に”S”と矢を組み合わせたマークが刻ん である。商標なのだろうか。。。半間四方の狭いたたきの反対側には指物師が手掛けたオール木製錠 の小さな下足箱がある。同湯を入れて4軒ほど(下館に1軒、日立に2軒)に減った茨城県の銭湯 の料金は350円。東京よりも100円も安い。

女将に建物の築年を尋ねると”かなり古いよ”というばかりで思い出せない様子。脱衣場の建物は トタン張りになっているけど、土管を積んだ煙突や後方妻面が漆喰という浴舎から、古豪銭湯とい うことは容易に察しが付く。先達の情報によれば、築70年くらいの戦前築の建物のようだ。

脱衣所の広さは、幅2間半、奥行3間ほど。角には踊り場がのあってL字で昇って行く階段があっ て、今は使われていない2階の広間に繋がる。雰囲気のある木製の手摺りのこの階段が脱衣所に何 ともいい雰囲気を醸し出している。

天井高は、2階が載っているので1間と1/3くらい。天板などはなく2階の床材が剥き出した無骨 な構造だ。男女境もペンキ塗りで木塀のように簡素な造り。鏡は額縁形でさほど大きくないものが” 板塀男女境”に架かっている。

ロッカーはおろか棚さえも無い。断面が丸い籐とは違う帯状の繊維を編んだ丸籠だけが使われてい る。

そして、幅1間はある広い縁側があって、向こうには紅色の花を付けた木が植わっている。庭と外 との境には”三丁目の夕日”的な簡素な板塀が巡らされている。しかし、高さは縁側に立つ小生の 臍の高さにも及ばない。人通りはほとんどないんだろうけど、家族連れが通り過ぎる時には脱衣所 に引っ込まざるを得なかった。

さて、風呂だ。。。 浴室の広さは、幅2間半、奥行3間半ほど。天井は木板に白ペンキ塗りの2段型。島カランはなく、 カラン数は両サイドに5機ずつ。床のタイルは正八角型と正方形白タイルを組み合わせたものが平 滑に張られている。壁も中判の白タイル。腰高にグリーンで十字をあしらったマジョリカタイルが アクセントとして使われている。

浴槽は、奥壁中央の釜場への扉を避けるように正方形の浴槽が左右に置かれている。男女境に接し ている方が白湯槽で42.5度くらい。もう片方が看板に記されていた”草津湯”。深さにして1/3程 度しかハップ湯が入っていない。しかもこれは男湯だけで、女湯は白湯槽のみのようだ。

湯に浸かりながら奥壁を見ると、ペンキに塗り潰され、今は使われていないブザーの大きな釦があ った。昔はこれで客と釜場が連絡を取っていたのだろう。”オヤジ温いぞ”と。。。

湯は井戸だけでは賄いきれず水道水との混合で、それを薪で沸かしている。狭い浴槽ということも あって、さほど特徴を感じ取ることが出来なかった。

奥壁はライトブルーのペンキで塗りつぶされているけど、やはり、かつて富士山のペンキ絵があっ たという。ペンキ絵は無くなったけど、その上部、大きく墨書体で「喜與の湯」と書いてある。あ たかも霊泉を崇めるような趣。ともすれば平板な印象の浴室空間をぎゅっと引き締めている。屋号 の大書き。こんな”ビジュアル”は初めての遭遇だ。

ゴールデンウィーク前半の三連休、中日の日曜日、夕方の18:25から19:15に滞在。父子や孫を連 れた爺など、まさに連休中の光景があって、相客は7、8人と案外に多かった。

あがりは近くの酒屋の自販機で氷結150円を購入。夜風爽やか。飲みながらトボトボと結城の駅ま で。

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
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                          益子