差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2005年12月31日土曜日 14:12
宛先: 銭湯ML
件名: 寿湯(尾道市栗原東)

ナカムラです。

今日(12/25)は、「寿湯(尾道市栗原東)」に行ってきました。
尾道駅(JR山陽本線)から、0.7キロ、15分くらいです。

尾道銭湯の中では一番わかりにくいロケーション。
今回は、GPSナビゲーション付の携帯を持参している。銭湯の場合は、電話番号を入れると、屋号や住所が表示され、目的地までの距離、時間、経路が表示され、さらに音声案内で導いてくれる。今回は、いちいち地図を参照しないで、この機械に頼ってしまった。かなり使えるものだった。

バス通りからの入り口が、人しか通れない路地のため、確かに判りにくかったけど、角に散髪屋があることもあって難なく到着できた。

昭和6年築の銭湯。前庭に樹木が生い茂ってきたため、判りにくくなっている。隣が居宅なのか、ご夫妻が窓から顔を出していたので、外観の撮影の許可を申し出る。そうしたら、中も撮影していいよと、小一時間、隅から隅みまで案内し解説してくれた。

ご主人の父上は、明治32、3年の生まれ。太平洋戦争に徴用され、沖縄で戦死された。年齢からすれば、当時小生と同じくらいの年齢だったはず。兵役は戦争末期に45歳に延長されるまで40歳だった。先代は、これにかかって前線に送られた、不運な方のようだ。先代は、大正時代に尾道水道の対岸の向島で銭湯を始められ、当時、尾道の町外れだったこの地に銭湯と建てた。当時は畑ばかりだった。

新し物好きで、違いの判る先代の志向は、随所に残っている。
脱衣所の広さは、幅2間、奥行3間。床は、かなりの幅広で、厚みも相応の感触の桜材。現在は入手が困難な材だ。地元にはなく、大八車で中国山地からの山間から運んできた。天井や番台は木目の整った米松。天井にはモスグリーンのペンキが施されている。

ロッカーの錠は、鍵穴にまさに真鍮の鍵を差し込んで回すもの。開湯からのオリジナルで、表に錠がなく、裏にかん抜きのあるタイプよりも、古いタイプだそうだ。

古い木枠に入った鏡は、大型の一枚物で歪みがない。当時の日本でここまでの物は造れなかったので、輸入物だろう。木枠の上下に、これを寄贈した地元商店の名前が彫り込まれているが、何れも現役の会社で残っているという。

浴室は、幅2間で奥行き3間と広い。それに、古いけど清潔という、最も好ましいもの。
浴槽は、男女境の中央奥に、奥行1間弱、幅1間半の四角いもの。一部がパイプで仕切られた浅槽。奥側が深槽で2段になっている。

ビジュアルはないが、低めの男女境の上部には、古い模様硝子が使われている。浴室周辺に張られたタイルも、御影石風の石見産の古いもので、昔の広島駅の地下道には同様のものが使われていたという。入口、窓枠とも、水色のペンキが塗られているものの、木製のものが使われ、この雰囲気に溶け込んでいる。

湯気が立ち込め、天井を支える男女境上の柱に、蛍光管2本のみというやや暗い空間は、終始一人ということもあり幽玄な感覚がある。この1年、いや、ここ数年の出来事が去来する・・・。

湯は井戸水7割、上水道3割。燃料は、尾道ではB重油が手に入らないので、ほぼ軽油と同等のA重油を使っている。価格も40円から65円に上がり、灯油と変らなくなっているので大変らしい。戦前は石炭。その後、鉋くずや大鋸屑を焚いてきたという。今も釜場の隣には、大きな倉庫が残っている。鉋くずや大鋸屑の場合、1日に8立方メートルを焚き、この大きな倉庫でも10日分の燃料しか置けなかった。

19:00から仕舞いの20:00まで滞在。客は小生のみだった。
同湯では、ドリンクの販売はない・・・。

そうこうしているうちに、女将さんがみかんを10個以上抱えて、小生に差し出す。食べきれないので、半分だけ頂く。先にコーヒー、菓子まで頂いている。風呂銭も受け取ってもらえない。宿が決まっていないならば、泊まって行けともいう。昔はこんな旅もしたけど、時代も変ったし、小生も若者でもない。何か、胸に詰まるものがあった。

息子さんは、歯科医師として活躍している。2000年には風呂屋を廃業してと言われて、早5年以上経っている・・・。尾道の組合の会長さんでもあるし、広島県の副理事長でもある。

何だか、とてもいい銭湯だった。



奥の戸が蒸し風呂の跡。
コンクリの室は、一部壁が壊され、物置になっている。

ボイラで70℃まで沸かして、一部水を入れた浴槽に流し込む。


天井はブリキながら、上等のものなのだろう。
一度も取り替えていない。










鉋の切りくず、大鋸屑を保管した倉庫。
カメラ後方には煙突がある。

ボイラー。A重油を70リットル/日用いている。


奥壁の裏側。女湯からの潜り戸から入る。


右はボイラー。左のコンクリの直方体は、かつての蒸し風呂。
梯子がかかっていて、その上に、三助夫婦が住み込んでいた。
地方銭湯に三助がいたことに驚いた。

蒸し風呂は、床下で湯を沸かして、
床の上には瀬戸内の海草を敷き詰めたものだったらしい。
男湯の青い扉がその入り口だった。
女湯の入口跡は、モザイクタイル絵になっている。


1978年。田宮二郎主演の日英合作のスパイ映画。
かつてはは、映画のポスターを掛けていた。
駅前に東宝の廃業映画館があった。
尾道に映画館が無いのかも知れない。





コーヒーをご馳走になって、
みかんも出てきた、
食べきれないので半分だけ頂く。

宿が決まっていなかったら、
泊まって行けともいう。
風呂銭は最後まで受け取ってもらえなかった。