差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2004年11月14日日曜日 17:38
宛先: 銭湯ML
件名: 国の湯(大田区東雪谷)

ナカムラです。

今日(11/11)は、「国の湯(大田区東雪谷)」に行ってきました。
石川台駅(東急池上線)から、0.8キロ、10分程度です。

五反田駅始発の池上線(蒲田〜五反田)は、不自然に、ビルの4階から発着する。
旧池上電気鉄道は、大正11年より蒲田駅から順次路線を建設し、昭和3年に五反田まで到達。
山手線をこの高架橋で乗り越して、白金までの伸延を計画していた。

しかし、郊外から都心に開発を進めるという無策がたたって資金不足。
敵対する東急電鉄の前身、目黒蒲田電鉄に吸収合併されて、ここ五反田までと相成った。
無念の高架橋が、今の姿になっている。

西島三重子の「池上線」という、古い、悲しいラブソングがある。
マイナーな歌だけど、小学生の時、NHKFM「夕べの広場」で聴いて以来、きっと1000回以上は聴いている気がする。
この歌の光景を写真にしたくて、夜、何度か沿線を歩いたことがある。

さて、国の湯。
石川台希望ヶ丘商店街が終わったあたりにある。
以前は、寿司屋と染物屋だったという、その間の小道の奥にある。

昭和29年築の伝統銭湯。
入口に暖簾はなく、黒瓦の入口棟の摺りガラスには、旧字体で「国の湯」と書かれている。
天井は平格天井。下足箱の錠は旧型のさくら錠。小生が取った12番の木札は、角が大きく磨り減っている。

番台は全面がカーブしているもの。昭和中期的なグレー木目調の新建材になっている。
金曜日の20:15。客は誰もいない。やめるとボケちゃうからという84歳の女将は居眠りしている。

脱衣所の広さは3間四方。天井は平格天井。
SakuraUの島ロッカーが横置きに2つ。
入口方の壁にもSakuraUのロッカーがあり、その上に、今は使われていない脱衣籠が整然と積まれている。

その他、調整しても針が5キロから2キロまでしか戻らない亀井式のアナログ体重計、飲料が少ししか入っていない2枚扉の古い冷蔵庫、ベンチ等がある。
余計なものは何もない。

外壁側のガラス戸の外には、幅1間の広い縁側がある。
駐車場と縁側の間には、暗くて、池などがあるか良く判らないけど、立ち木がある庭がある。
付近が自分の野菜畑だっただけに、少し、他の銭湯とは違っている。

浴室は、4間半四方。
天井は2段型だけど、ウィング部の幅が2.5間もあり、少々、圧迫感がある。
昭和46年に、幅を1間広げる増築をしているので、そのため独特の形状をしている。

島カランは2列。カラン数はセンターから、7・6・6・6・6・6。
Waguriの旧型で管の断面が野球のホームベース型になっているもの。

浴槽は、外側から薬湯、白濁した湯で微かに硫黄の香りがする。いい感じ。温度は40度くらい。
真中が1穴ジェット×4。温度は43度くらい。
センター側は弱弱しい床バブルで温度は44度くらい。

薪で炊いた湯はなかなかしっとりしている。
こんな、広い空間に小生一人。
かなりの贅沢という感じがした。

床のタイルは、3センチ角の白いもの。昭和30年代の光景が残っている。
洗い場で身体を洗っていると、センターの浴槽からお湯が溢れ出てくる。
すごい・・・。まさに、源泉じゃないけど掛け流し・・・。
番台の女将の姿のが見えないから、浴室を温めてくれているのかな。まさに贅沢。

奥壁には、丸山師の渓谷の図。
その下には、パステル調のモザイクタイルがランダムに並んでいる。
余り見ないデザイン的なもの。

男女境には、縦7枚×横61枚の大きなタイル絵。
銘等はなく、アヒルが浮かぶ池、そのほとりの農家、池から流れ出る川と橋、という図。
これも昭和46年に入れ替えられた2代目らしいけど、牧歌的な風景は落ち着く。

かの名湯「明神湯」のすぐ近く。明神湯より3年ほど前に創業しているとのこと。
もとは、ここら辺りで野菜を作っていた農家。
84歳の女将が小学生の頃、夏休みは市が立っていた「青物横丁」まで、朝3時に起きてリヤカーを押す手伝いをさせられたと。
狐もいたし、同湯上の丘からは、はるか向こうに蒸気機関車が走る光景があったと。

小生が辞去する21:00頃にやっと次の客が来た。
「おばちゃん、温度調節失敗だよ・・・。すごく熱いよ。」と浴室から声が掛かる。

薪湯の掛け流しは、いつものことではないらしい。
やはり、遠来の客に対するサービスであったと思いたい。
小生は、人がいい、シアワセな人間である。



































ビル4階の五反田駅


石川台駅


途中にある「稲荷湯」


国の湯





国の湯