差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2003年10月19日日曜日 10:35
宛先: 銭湯ML
件名: [sento-freak:04486] 松島館(横浜市西区)

ナカムラです。

今日(10/18)は、「松島館」に行ってきました。
3年前に訪れたときは臨時休業だった・・・。

桜木町駅(JR根岸線)から10分くらい。
20:00くいらだけど、ランドマークタワーとは反対の山側、また、野毛方面とは反対の高島方面、人が歩いていないなぁ。
岩亀(がんき)横丁を通る途中、「ホテルがんき(サウナがんき併設)」があったりと、極めて30年代の香りが漂っている。

  横浜開港ころの歓楽街だった高島町。
  その大楼岩亀楼の遊女の静養場所が、現在の岩亀横丁にあり、
  遊女たちが信仰していた岩亀稲荷が綺麗に整備され、灯りが点されていた。
  人通りのない夜の商店街でそこだけ輝いていた。

松島館は戸部通りからクルマが通れない細い路地に面している。
表通りに「公衆浴場 松島館」という看板。
中に蛍光灯が入っており、店仕舞いした商店街の中で、結構目立っている。

入口には屋号を記した紺地の暖簾。
下足箱はおしどり錠。
入口はアルミサッシ。
番台は低くて、幅が広い。衝立やカーテンもない。
白髪のこざっぱりとした女将に風呂銭を渡す。

脱衣所は、壁側にロッカーが30個(おしどりの板錠)と島ロッカー(20個、SAKURAU)。
脱衣カゴも10個ほど積まれている。

天井は薄い木板を桟で止めたもの。
古い旅館などではよく見られるけど、銭湯でみるのは初めて。
床も古い板の間だけど清掃が行き届いている。
なかなかいい雰囲気。

築55年。戦後の物不足の中で、新潟から木材を運んで建てたものらしい。
番台や梁、男女の仕切り等、いい材料ではないが、渋くこげ茶色にくすんでいる。
なかなかいい雰囲気。

「ここの風呂屋は100年くらいになるよ、俺の店はそれ以上だけどね。」と70は悠に超えているような常連客。
初代は昭和10年に亡くなって墓を立てているから・・・と女将。
横浜では屈指の歴史を持つ銭湯の模様。

浴室に入るとペンキの匂い。
奥のペンキ絵に目を向けるが、6.7.15と古い日付。
天井を見ると東京2段型の天井がペンキ塗りたて。
ややオフホワイト気味の白に薄いグリーンの縁取りが上品である。

ペンキ絵は灯台、岩礁、帆掛け舟。早川絵師でも中島絵師でもない。
東京にはない、板に直接描かれているもの。
描かれてからかなり時間が経っているが、木に直接描く方式の方が絵の持ちがいいよ
うだ。
ビジュアル物はペンキ絵だけでタイル絵等はない。

島カランは1つで、カランはセンターから6・5・5・4。
旧型で温泉マークが付いた太めの愛嬌のある形のもの。
シャワーは中央側のみ。
壁側には、外にえぐれる形で立ちシャワー1つ。
しかし、普通のシャワーブースが2つは作れるスペースに、立ちシャワー1つ。
何かのスペースを転用したのかな・・・。

浴槽は浅深2つ。浅い方にジェットが2機付いている。
温度は熱からず温からず。
薪で沸かした風呂なので、湯の感じが落ち着いている。

客は他に一人。静かな時間が流れている。

上がると、誰も居ない脱衣所にハーモニカの音が流れている。
なんか、不思議で、いい感じだった。
女将が女湯側で吹いているようだ・・・。

  小生の父は、鉄工所の親爺だったけど、何故かハーモニカや絵がうまかった。
  ふだんの生活では、まったくとしていいほど接しなくなったハーモニカの音。
  少し感慨に耽る。

戸塚に越してきた時に3軒ある銭湯が、最近1件廃業し、今では1軒だけになったこと、銭湯めぐりをしていること、そんなこんなを話していると、「カラン(神奈川県公衆浴場環境衛生同業組合)」のバック・ナンバー(2号、3号)と銭湯マップを出してくれた。

ありがたく辞去し、靴をはき暖簾をくぐると、後から女将が出てきてオレンジ色の新しいタオルを差し出してきた。

古い建物を大切に維持している清潔な銭湯、落ち着いた湯と静かに流れる時間、女将の優しさ、満ち足りた銭湯だった。