差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2005年11月13日日曜日 8:46
宛先: 銭湯ML
件名: 松の湯(横須賀市馬堀町)

ナカムラです。

今日(11/12)は、「松の湯(横須賀市馬堀町)」に行ってきました。
馬堀海岸駅(京浜急行線)から、0.2キロ、2分くらいです。

今日は防衛大学の開校記念祭のようだ。横須賀の街のそここに、制服を着た学生が歩いている。文化祭といっても、観閲式には陸・海・空の自衛隊の戦闘機が飛んできたりと、かなり一般大学の文化祭とは異なる。焼ソバは売っているらしいけど・・・。馬堀海岸駅が最寄駅。

同湯は、大正13年創業。現在の建物は平成8年に建てられたが、見事な枝振りの掛かり松は、創業時からのもの。屋号に因んで松を植えたんだろう。

同じ建物の1階隣が、居酒屋「いっぷく食堂」で、2階はアパート2戸となっている。
同湯の入口は、暖簾は架かっているものの、いきなり引き戸で、あまり銭湯らしくない。
開けると、やはり民家風。コンクリのたたきがあって、プラスチックの靴棚がある。番台やフロントといったものはなく、正面の椅子に毛布に入った女将が横たわって、テレビを見ている。400円を渡す。

2年前に外で薪を割っていた80歳のご主人は、寝たり起きたりで、仕事はしていないらしい。女将も体の左半分が利かない状態とのこと。そんなハンデを負いながら、片手で一人薪をくべて湯を沸かし、一人で15:00から22:00まで銭湯の入口も務める。食事をする時間がないので、ここで弁当を食べると言っていた。さらに、同湯は「無休」。スパー銭湯以外で無休という銭湯を知らない。

昭和34年に先代が亡くなる時に、嫁である女将だけに、「何も残せなかったが、風呂屋を1軒建てた。これを潰さないでほしい。」と頼んだ。平成8年の改築の時に、風呂屋を続けることに対し、主人を含めみんなが反対した。風呂屋が儲かった頃から、客が減り赤字になるというように、時代は大きく変った。浦賀組合の銭湯も25軒から5軒にまで減った。もう、先代の志を継ぐ必要はない・・・と。

でも、昭和4年生まれとう女将は、同じ墓に入るんだし、先代に約束を守らなかったと言われたくないと言う。新潟県出身で以前は隣の食堂もやっていた。
壮絶な銭湯だなぁ・・・・・・。

脱衣所は、2間四方、天井は2階があるので1間半弱と低い。
浴室も同じだけど、経費の節約だろうけど、蛍光灯が3分の1しか点いていない。やや暗い感じがする。

脱衣籠が主力のようだけど、外壁側に板鍵のおしどり錠がついたロッカーが6個ほど。但し、鍵があるのは2個くらい。その他、ベンチと、体重計があるだけの簡素なもの。アナログ体重計は見たこともないものだった。「Teraoka Junior」と書いてあるもので、膝の高さの文字盤が極小で、3センチ四方くらの窓にメジャーのメモリが左右に流れるるというもの。

同湯は浴室に特徴がある。広さは、幅2間、奥行3間弱。天井高は1間半弱。「藤の湯(世田谷区玉川)」ほどのゴージャスさはないけど、奥壁、天井、外壁が木目鮮やかな板が張られている。照明が暗いので、温泉場の共同浴場という趣きがある。

島カランは、1列(個)で、カラン数はセンターから5・1・1・4。カランはWaguriの取っ手が赤・青のもの。

浴槽は、深浅2槽。深槽が白湯の泡風呂。温度は42.5度くらいと意外に低い。外壁側が薬湯で「生薬タイプ」という初めて遭遇する薬湯。その左右に、マジック書きで「お風呂のお湯は飲めません」と書かれている。温泉ではよく見る注意書きだけど、銭湯の薬湯で遭遇するのは初めて。飲むやつなんているのか・・・。

土曜日の19:20から20:00に滞在。相客は同年代の方が1人。普及椅子は使わず、タイルに直接座っている。共同浴場的雰囲気だし、小生もそうする。

女湯に客は居ない。女将も眠りに入ったようだ・・・。
静かな、静かな浴室。そうこうしているうちに相客は釜場に引き上げて行く。
客は小生だけだったようだ。

デッドストックなのか、ケロリン桶のキーホルダーを500円で購入。組合に割り当てられたものの誰もこんな物を買う客がいないのか、しきりに恐縮された。

帰りは、横須賀中央駅に出て、「ラーメン・つたや」。21:00の閉店まで30分なので、焼酎桜島のお湯割りと酒の肴としてチャシューワンタンメンを注文。

カウンター6席、テーブル4席の小さな店は混雑していた。
防大の学生もいて、他の客と戦闘機の話で盛り上がっている。3回生で51期。客が「将来エリートになるんだね」といったら、主人に「もう、エリートなんだよ」と訂正されていた。

バスでJR横須賀駅に出て、帰館。


あの「寺岡式」のメーカーが作っている体重計