差出人: Masayuki Nakamura <masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp>
送信日時: 2013年5月18日土曜日 0:15
宛先: sento-freak@yahoogroups.jp
件名: 御幸湯(大津市御幸町)

ナカムラです。

今日(4/21)は、「御幸湯(大津市御幸町)」に行ってきました。 上栄町(京阪京津線)から、0.2キロ、2分くらいです。

思い立っての京都だったので、市街の便利なホテルは予約出来ず、洛北のしかもどの駅からも遠い 宿だった。朝ご飯だけでもと、毎月21日に開かれるという東寺の”弘法さん”という市の前に清水 のハイアットリージェンシーで朝食を頂いた。朝早かったせいもあって枯山水の庭を望む小さな食 堂は静かで、7割方が外国人という状況だった。いい雰囲気で心地良くもあった。

近くの銭湯までは何回も来ているけど、東寺を訪れるのは初めて。こんなにデカいのか。五重塔の 大きさに感嘆する。”弘法さん”も、経験したことがない大規模な市井の市。本当かどうかは分から ないけど”お寺さんにも納めている”という、抹茶色の無骨な帆布のような風合いの作務衣を買っ た。

その後、途中でいくつかの喫茶店で休憩しながら、レトロビルの「壽ビルディング(昭和2年築/ 旧商工無尽)」、仏光寺通り、宮脇売扇庵などを周る。

そして、銭湯。京都市役所前(京都市営地下鉄東西線)から、京阪・京津線に乗り入れる直通電車 で上栄町駅に向かう。古くからの路線で車体は小さい。沢筋の国道1号線に寄り添い、蛇行しなが ら、結構な急カーブで逢坂山を登って行く。山岳鉄道のようで楽しい路線だ。東海道本線も新逢坂 山トンネルが出来る前は、京津線と並ぶように旧逢坂山トンネルを抜けていた。太古からの交通の 要衝だ。

逢坂山を下って、小町湯の傍らを通り過ぎれば、上栄駅はすぐ近く。カーブ上にある駅で、相対式 ホームながら上下線のそれぞれのホームは、踏切を挟んで離れた場所に置かれている。路面電車の” 電停”のような小さな駅。もっとも、京津線は同駅のすぐ先で国道1号線に出て、併用軌道として 本当に道路上を走る、まさに路面電車となる。

そんな電停のような駅を降り、御幸町の交差点で1号線を渡り返せば御幸湯は近い。屋号は、「御幸 町」から来ているのだろう。しかし、同湯に打ち付けられた戦前の古い琺瑯の住居表示は”葛原町”と違ったも のだった。以前とは屋号が変わっているのかも知れない。

油井型の煙突を有する惚れ惚れする郷愁銭湯だ。この銭湯を訪れるのは3度目か4度目。定休日や ら、基本ハシゴをしないで1湯1湯をじっくり味わおうという思いがあって、入れるまで少し時間 がかかってしまった。

黒瓦を載せた簡素な平入りの脱衣所の建物。男女湯へ通じる2枚の扉に、牧場の納屋のようなトタ ン張りの簡素だけど大振りな庇屋根が付いている。途中から経営を引き継いだ銭湯なので建物の建 築年代は判らないらしい。しかし、戦前派銭湯なのは勿論、古い銭湯であることは間違いないだろ う。

ドアを入れば、コンクリのたたきと番台。そして大理石模様の化粧板を貼った番台と、その反対側、 入口方の壁に古いツルカメ錠の下足箱がある。大将は、ぱりっとしたワイシャツを着て、袖口のボ タンまできちんと留めた寡黙な方。外で写真を撮りながら見ていると、頻繁に番台と外から回る釜 場を往復している。昨冬来た時もそうだったなぁ。1人で切り盛りされているのだろうか。

入った時、番台に大将は居なかった。湯銭は1人400円。相方は、番台に千円札を置くと風で飛び そうなので少し困っている。優しい大津のおばちゃんに”後でいい”とアドバイスされているよう なので、小生はそのままお邪魔することにした。

脱衣所の広さは、幅2間、たたきの部分を合わせ奥行は3間半くらい。天井は木板にペンキ塗りと いう無骨さ。十二分にイニシエの雰囲気が満ちている。

浴舎との間の半間ほどの空間は、女湯側が元々庭池で、外側は浴室への通路兼タイル張りの流しを 置いた緩衝スペースになっている。同じ滋賀の彦根辺りの銭湯とともに、中京地区の銭湯でよく見 るレイアウトだ。残念ながら庭池は埋められ、濾過装置のタンクがディスプレイかと見間違う感じ で置かれている。

ある時期、循環・濾過装置が必要となる時代に移り変わったのだろう。しかし、煉瓦壁の釜場には 入らない。同湯の後方は長屋のように家が連なっている。消去法的にこの場所に設置されたのだろ う。それほどに同湯周辺の家並みは稠密になっている。

ロッカーは外壁側に折鶴錠のもの。下段2段ほどは樹脂製の脱衣籠を収納する棚になっている。緩 衝地帯の上には竹の切り抜きがある欄間調の装飾、大黒柱には古い中央に宝船があしらわれている 「大入」の額。男女境には3つの鏡を継ぎ合わせた昔ながらの大きな鏡。さらに、旧型マッサージ 機、京都Ishidaの大振りのアナログ体重計がある。

番台前の脱衣所の芯柱といっていい柱の横に、長等三丁目の古い家具店の広告があった。緩衝地帯 の流し、浴室の鏡などにも同じく長等町の店の広告が残っている。そこは、かつて大津の柴屋遊廓 があった辺り。今でも旧妓楼の建物が、建設関係者の飯場として余生を送っている。いつの時代の 広告なのだろう。かつては、そういった一角からの客も多かったようだ。

浴室は、幅2間、奥行3間しかない小さなもの。天井は1間半くらいプラ板張りの低くフラットな もの。中央に四角い湯気抜きが開いている。

島カランはなく、カランは外壁に8機、奥壁に2機。床のタイルは濃淡ベージュの2種類のタイル を組み合わせて使っている。

浴槽は、男女境に接して1穴ジェット×2の深浅の主浴槽。水道をA重油で沸かしたお湯は42度く らい。さらに、入口に独立した温めの41度くらいの副浴槽がある。男女境に”びわ湖の水”という 県浴の看板が掛かっているけど、滋賀県の水道は琵琶湖の水なのかな。言われなければ水道水とは 気が付かない円やかなお湯だった。

ビジュアルは、奥壁に富士山を描いたモザイクタイル絵。隣湯の小町湯と同じ絵だ。しかし、小町 湯とは違って男女境に絵はない。

65歳以上と小学生が無料という第3日曜日の18:00から18:45に滞在。相客は全てが無料入浴と 思われる爺3人だけ。簡素な小さな空間の中に深い郷愁を湛える優れた銭湯だった。

同湯では飲み物の販売はない。上がりの一杯は、前から気になっていた京都で最も古いという河原 町の「ハマムラ」という古い建物で営業している中華料理屋へ。全く同じ商標でイオンなどにも多 店舗展開している「中華の老舗/ハマムラ(1924年(大正13年)創業)」とは別法人らしい。多店 舗展開側のHPには”弊社と関連する現存店として、ハマムラ河原町店がございますが、弊社とハ マムラ河原町店とは経営・業務上の提携は行っておりません。”とある。一澤帆布の例もあるけど、 老舗はややこしい。ハマムラ河原町店は、味、サービス、値段など、全てが本当に町の中華屋だっ た。

※翌朝散歩した南禅寺・水路閣

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
メイン:masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp  
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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       京福電鉄京津線・上栄町駅。踏切から下りホームを望む。
          急カーブなので自動散水機で水が撒かれている。




          上栄町駅1つ手前の逢坂山の山間の大谷駅。
        かつて、東海道本線との接続駅だった歴史を有する。




                京都で最古参の中華料理店らしい。ただ、入ると町の中華屋の趣き。
                      建物の側面には黒瓦で破風がある入口がある。
         大正13年(1924年)に創業した「支那料理・ハマムラ」の後継企業のハマムラ株式会社の公式HP


               昨日に続き、木屋町のフランソア喫茶室で”喫茶部”。。。




      ウェイトレス制服が修道女を思わせる独特のもの。
          この季節はグレーのものだった。



                        繁華街1歩入れば和風旅館などもある路地。そんな一角にある。




                          いわゆる”番組小学校”の旧立誠小学校









            東寺の傍らの「八条湯」。設備故障のため休業との張られて久しい張り紙があった。




                       仏光寺通り、古い写真館














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