差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2006年3月25日土曜日 14:31
宛先: 銭湯ML
件名: 御幸湯(川崎市川崎区浅田)

ナカムラです。

今日(3/21)は、「御幸湯(川崎市川崎区浅田)」に行ってきました。
安善駅(JR鶴見線)から、0.9キロ、10分くらいです。

彼岸なので、とりあえず墓参り。そして、やっぱり銭湯・・・。
浅田附近へは、通常、川崎駅からバスだけど、気になる「安善湯(鶴見区寛政町)」を再訪するため、鶴見線の安善駅経由で行く。

安善駅前は、建て替えが進んだけど、まだ炭住のような古いコンクリ製の社宅もいくつか残っている。その中心に、それらセメント会社の旧社宅群の共同浴場を発祥とする、貴重な安善湯がある。15:30の開店前だけど、窓の隙間からペンキ絵が見える。相変わらず渋い佇まいだ。

しばらく北上して御幸湯へ。同湯の煙突は油井型の真っ黒い煙突。建物は、脱衣所棟、浴室棟ともにモルタルに青いペンキを塗ったトタン張りの簡素なものだ。

正面左は小さい駐車場。右は商店だけど、開いていないので何の店かは判らない。その間にコンクリの通路があって、やはりモルタルに青トタン屋根の入口がある。正面には「御幸湯」と木彫の文字が配されている。

下足箱の錠は松竹。サッシュの素っ気無い戸を通って、番台の女将に400円を払う。15:00過ぎ、WBCの決勝戦、王ジャパンは優勝したらしい。しかし、女将は開店までの疲れか、居眠りを始めた。

脱衣所の広さは3間四方。壁は昭和中期の新建材、天井はクロス張り。これといった特徴のない脱衣所。ロッカーは外壁側と島ロッカーが1つ。錠は松竹板鍵。脱衣籠も現役で使われている。

大黒柱の黒柱時計は止まったまま。S.TANAKAとSが付いているのが珍しい120キロまでのアナログ体重計。真中に大振りのトレーニング機器がある。だれも使わないのに邪魔な感じがする。

浴室は、幅3間、奥行4間の2段型。ウィング部が2段になっているので、3段型と呼んでもいいかも知れない。内側には淡いブルーのプラ板が張られている。
鏡すらない島カランは1列で、カラン数はセンターから5・3・3・5。カランは日の丸扇の新型、旧型の混成に、さらにWaguriも混じる統制のなさ。シャワーが外壁のみというのも珍しい。
しかし、同湯の浴室は、入って息を呑むレトロなタイル使いだ。入口付近と浴槽の内側は小石型タイルが使われている。さらに、床が亀甲型のタイルが平滑に張られている。

それに、同湯の洗い場には洗い湯を流す溝が1本も無い、古風な造りだ。洗い湯は、それぞれのカラン周りから、広く床を伝って、入口附近の真鍮の蓋がかかる大きな溝に流れ落ちる。刺青を彫った上座の相客の垢が、小生のケロリン桶と椅子の間を流れて行く。これが昔の銭湯かと興味深いものの、やはり、あまりいいものではない。

それに、ビジュアルに驚く・・・。奥壁が中島師のペンキ絵でどこぞかの入り江の風景。ここまでは普通だけど、何と4間幅の男女境全てが、ペンキ絵になっている。富士山はこちらに描かれている。女湯は奥壁が富士山なので、女湯の富士山を眺めると、2つの富士が視界に入る。稀有な風景。男女境がペンキ絵なのは、初めての遭遇だ。

浴槽は深浅2槽。炊き出し口から湯が噴出す以外に、何の仕掛けもない。ジェットすらない。いにしえの光景だけど、入っている湯がどちらも真紅の湯で、かなりのインパクトがある。「ローズヒップ」というらしい。これも、初めての遭遇だ。温度は、深槽が43度、浅槽が42.5度といったところ。

上がりはキリン一番搾り250円。祝日とは言え、15:00から生活銭湯に浸かるのは、近所の年配者か、はたまた変体的銭湯マニアしか居ないだろう。同湯のレトロな浴室と2幅のペンキ絵は一見の価値がある。

さらに、今日のミッションは、鶴の湯(平安町)を見に行くこと。組合のHPには載っているけど、電話が繋がらない・・・。

やはり、解体されてさほど時間が経っていない、タイルが散らばる土の更地だった。
近くの人に尋ねると、5〜6カ月前に廃業したとのこと。向かいの焼き鳥屋の建物が、どことなく空しく見える。






浅田
もとは小田の一部で、大正11年(1922)に誕生した。海に近い頃の地形になぞらえた地名と思われる。
昭和11年(1936)に浅田町となったが、昭和39年(1964)の住居表示で町を省いた。