差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2004年2月29日日曜日 15:30
宛先: 銭湯ML
件名: 明神湯(大田区南雪谷)

ナカムラです。

今日(2/28)は、「明神湯(大田区南雪谷)」に行ってきました。

メインは、南久が原の昭和のくらし博物館で、夕方から「同潤会の分譲住宅(内田青蔵氏)」という、マイナーな分野のレクチャーを聴くこと。その前後に、銭湯王国大田区の、銭湯を探検しようとの計画です。

明神湯は、石川台駅(東急多摩川線)から15分くらいです。おそらく、この駅で降りるのは初めて。駅前広場が全く無い、まさしく私鉄ローカル線の趣です。木造駅舎をはじめ、散髪屋、和菓子屋、喫茶店など昭和中期的な風景があります。

商店街を南下して行きます。途中に「稲荷湯(東雪谷)」。これは、マンションの1階に銭湯というもの。

さらに商店街を南下すると「国の湯(東雪谷)」。双方廃業してるけど元料理屋と元染物屋の間の路地を少し入ったところにある。なかなか枯れた立地にあり、かなりそそられたけど、今日は熟慮の末にその名を轟かせている明神湯と決めている・・・。

さて、明神湯。住宅地の中にあり付近に何の店もない。向かい側に大きなマンションがあるので、昔はここに中華屋など、少しはお店もあったのかな。

有名な銭湯だけあって、立派な建物。入り口は唐破風、その上に大きな千鳥破風。懸魚も立派なのが付いている。暖簾は小さな家紋と端っこに屋号を染め抜いた紺色のオリジナル。抑制が効いた、上品で粋なデザインである。

塀と外壁が少し変わっている。黄土色、モルタルではないけど、何かが吹きつけられている。そしてやや剥げている部分は灰色が露出している。

下足箱の錠は松竹錠。大型の銭湯の割には数が多くない。60個くらいだったかな。戸を開けると番台。横浜の一般的な銭湯と比べるとやや高い。左右の庇の彫りはさほどのデザインではないけど、全体が重厚な材で組まれている。

脱衣所は4間四方。大型の銭湯で広々としている。天井はこげ茶色の折上格天井(5×13)、やはり重厚な材で組まれている。外壁側が全てガラス戸になっているため、かなり明るく開放的。重量のある戸で開閉に難儀したものの、ガラスはピカピカに磨き込まれていて清潔感が高い。

ガラス戸の外は半間の縁側とその外側に1間弱の庭。植木と大きな玉砂利が敷き詰められている(石灯篭はあったか思い出せない)。池がないのは残念かな。

ロッカーは入口側の壁と、島ロッカーが横置きに置かれている。遠く女湯のロッカーの上には脱衣カゴが積んであるのが見える・・・。それ以外には、木の長いすとテレビ(入口壁側)、デジタル式のヘルスメーター、足踏み式の健康器具などがあった。

浴室はも4間四方。天井は2段型で、最高部の天井が広い体育館様式。ペンキは白とブルーでメンテナンス良く塗られていている。島カランは2列。カランはセンターから5・5・5・5・5・6。立ちシャワーがセンターに1つ。

シャワーがある両サイドは金属取っ手のカランになっているけど、島カランのカランは日の丸扇の刻印がある丸味のある旧型。タイルなどは創業時からのものなのかな。島カランを含め入浴道具を置く台は低く丸みを帯びているもの。床のタイルも3センチ角の白タイルと昭和中期的なものとなっている。

浴槽は3槽で、センターから薬湯、白湯、3穴ジェット2機の白濁した湯。温度はそれぞれ43度くらい。

ペンキ絵は早川師の西伊豆(H15.7)。その下に背景広告社のアクリル看板のほか、付近の眼科や2〜3の広告があった。センターには富士山と湖のモザイクタイル絵もあるので、ダブルで富士山がある。

土曜日の夕方16:30〜17:00に滞在したけど、客は7〜8人の入り。清潔感高く、広々としたいい銭湯だった。

この銭湯の創業時からのものなのかな、浴室入口に昭和27年7月の入浴心得がかかっている。その中に、「浴槽の縁に跨らないこと。」というのがあった。確かに、跨っちゃよろしくないけど、そんな光景は見たことがない。昔はそんな人がいたのかな。

帰りは、池上の桜館の黒湯を予定してたけど、講師の建築史家(内田青蔵氏)、建築家、古民家再生のNPO、そして単なる古いもの好きとの懇親会が長引いて行くことができなかった。桜館は、このMLで3月中旬まで改装中との情報があったので予め電話すると、3階から順次改装しているので、風呂(1階?)の改装は4月20日くらいからと言っていた。露天風呂を作る改装工事と言ってたけど、銭湯マップでは、もとから男湯のみに露天風呂はあったみたいだし、改装後はどうなるのかな・・・。

「昭和のくらし博物館」は京都女子大教授の小泉和子氏が自費で運営している小さな博物館。
昭和26年に建てられた建坪18坪の民家(元実家)。訪れた今日が会館5周年記念日とのことだった。
小生の母校の講師も10年くらい勤めていたとのことで、元実家の台所で作ってくれた酒の肴で盛り上がっていました。