差出人: Masayuki Nakamura <masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp>
送信日時: 2013年10月27日日曜日 21:45
宛先: sento-freak@yahoogroups.jp
件名: 日本鉱泉(愛知県瀬戸市銀杏木町)

ナカムラです。

今日(9/14)は、「日本鉱泉(愛知県瀬戸市銀杏木町)」に行ってきました。 尾張瀬戸駅(名古屋鉄道瀬戸線)から、0.4キロ、分くらいです。

早朝の新幹線で名古屋入り。三連休の初日なので新幹線では、全座席予約済みであることが繰り返 しアナウンスされている。

まずは、名古屋名物の”鉄板イタリアン”目当てに上前津の「大須せろり」へ。途中、入ったこと のある「仁王門湯」や、ちょっと気になる「電気湯」の前を通る。

腹が一杯になった所で、名鉄瀬戸線に乗って、終点1つ手前の瀬戸市役所前という無人駅へ。瀬戸 の市街地の外れの”新開地”と呼ばれる此処に、瀬戸物の町にふさわしい”陶華園”という名前の 赤線が開かれた。

愛知県と三重県は赤線の数が多く、いずれも○○園という名前が付けられている。陶華園の目抜き 通りには、今も往時の建物を見つけることが出来る。

その目抜き通りに「清水温泉」という銭湯も残っている。1階が駐車場というビル銭湯に替わって はいるけど、敷地が広い花街の中心に君臨しただろう銭湯だ。

尾張瀬戸にやって来たのは、「日本鉱泉」という変わった屋号の古銭湯に入ることと、銀座通り商店 街、末広商店街という、化石のような古いアーケード街を散策すること。しかし、運悪く”第82回 せともの祭”という伝統的な瀬戸物の市が立っていて、普段は寂れきっているだろう町中が、人人 人で溢れ、散策したり写真を撮ったりするには条件が悪い。。。

そんな中でも、コンクリ煙突が残る朝日町の宝湯跡、旧蛭子湯、東本町の旧銭湯とおぼしき建物な ど、偶然にもいくつかの銭湯の遺構に巡り会う。

現在は、清水湯と同湯の2軒だけになったけど、昭和43年の名簿を見ると瀬戸市には21軒の銭湯 が記載されている。東本町の旧銭湯の掲載はないので、もっと数多くの銭湯があったのかも知れな い。

さて、日本鉱泉。聞けば昭和ヒト桁時代の建物という。今日は入口や窓という窓がフルオープンで、 外から男湯内部を見通すことが出来る。惚れ惚れする郷愁に満ちた姿。”せともの祭”に訪れた多く の人が、思わず足を止めて見入って、写真を撮っている。

後方に東京の銭湯のコンクリ煙突よりも少し太くてやや短い煙突。道路と敷地を仕切る、腰高のコ ーナーが湾曲した古いコンクリートの塀が巡らされている。

中京地区の銭湯は、木造の脱衣所の建物とコンクリ造の浴室が分離していて、その2つの棟が半間 から1間ほどのフラットの緩衝地帯で連結されている構造が多い。同湯もまさにそんな構造になっ ている。

和風の脱衣所棟は、妻入の白壁の切妻。黒瓦を載せた屋根は緩やかなむくり破風。玄関ポーチのよ うなものはなく、番台の背にあたる部分を境に、2房の大きい暖簾が男女別々に下がっている。

中からはテレビの野球中継の音が流れる。中京地区の銭湯やレトロ喫茶店などを回っていると、そ こに年輩者が多いということもあるんだろうけど、みんな、つくづく野球が好きなんだなぁと思わ される。

暖簾をかき分けて入ると、コンクリのたたきがあって、左手に番台、右手に中京銭湯特有の金属の 肉抜き扉の、HEIYAJO錠が付いた下足箱。番号が刻印された小さなステンレスの板鍵の裏を見ると、 二枚歯の下駄の絵があって、その下駄の中央に”男”と刻印されている。

風呂銭は380円。名古屋市よりも20円ほど安い。相方が、古い化粧板張りの番台に収まった小柄な 女将さんに風呂銭を手渡す。

脱衣所の広さは、幅2間半、たたきと1弱の緩衝地帯を含め奥行は4間半ほど。天井は、今ではほ とんど見ることがなくなった小さな丸穴が多数開いた煤けた石膏ボード。壁は淡い黄緑色に塗られ た木板が縦に張られている。

ロッカーは、外壁側に扉にスリ硝子が使われているSEKIYAJYO。男女境に乗っているテレビが面白 かった。昭和30年代の”街頭テレビ”はこんなだったのだろうか。テレビは今風のものだけど、古 く大きな木箱に入っている。その他、Yamatoのアナログ体重計、1人用のボックス型のサウナ、旧 型マッサージ機がある。

2つの建物の”渡り廊下”のようなタイル張りの緩衝地帯の天井は、半透明の樹脂製の波板が張ら れ、光が入るようになっている。両側に小石タイルが張られた流しがあって、水だけのカランが2 機ずつ。浴室への扉の上には富士山を描いた淡い色調のモザイクタイル絵(女湯には木橋が架かる 近江八幡か)がある。

中京銭湯の緩衝地帯は、京都銭湯のような段差がなく、脱衣所との間に水をせき止める境がある。 浴室にはお湯のみで、水のカランがない銭湯や、緩衝地帯に使われなくなった冷水の立ちシャワー 設備が残る銭湯もある。昔は 上がり湯の代わりに、緩衝地帯で冷水のシャワーを使ったのかも知れない。

浴室の広さは、幅2間半、奥行3間半。最高部が2間と2/3くらいの山形の天井を含め、全体がコ ンクリ造の古い建物。天井のペンキは剥がれ、幾世代かのペンキの層を見ることが出来る。ただ、1 センチ角の白タイルが張られた3方の壁とピンクとえんじ色の組み合わせのタイルの床は磨き込ま れ、一分の隙もない。外壁側の高窓が全開で、秋の空が見える。

入口脇には女湯と通じる汲み水槽。浴槽は、中央、男女境に接する主浴槽42.5度と、奥壁に接する かたちで温湯槽40度未満、電気風呂(入らず)、薬湯槽41度と並ぶ。

カランは外壁にのみ7機が並ぶ。娘連れのお父さんなども来ていて、ほぼカランは埋まっている。 浴室の窓は全開で空が見渡せ、それが白を基調としたこの浴室とマッチしている。

ビジュアルは、奥壁に、壁の半分くらいの大きさのモザイクタイル絵。夕方の海の風景で、海に突 き出た赤い祠と帆掛け船が描かれている。夕暮れの空を丁寧に描いたいいタイル絵だ。

土曜日の16:45から17:30に滞在。相客は10人ほど。浴室は磨き込まれ、お湯は清澄極まりない。 何とも贅沢な気分になった。爽やかな風が流れる開放感のある素晴らしい郷愁銭湯だった。

脱衣所に1955年(58年前)の外観の写真が掛かっていた。銭湯帰りの湯桶を抱える女児3人を写 した写真だった。3人はみんな既に還暦を過ぎている。建物の横には映画館の看板が2つか3つほ ど写っていた。当然、全て閉館している。日本鉱泉だけが、その頃と全く変わらず、しかも今も普 通に営業していることに、尊いものを感じた。

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
メイン:masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp  
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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