差出人: Masayuki Nakamura <masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp>
送信日時: 2014年1月19日日曜日 8:09
宛先: sento-freak@yahoogroups.jp
件名: 仁川湯(愛知県清須市西枇杷島町)

ナカムラです。

今日(9/15)は、「仁川湯(愛知県清須市西枇杷島町)」に行ってきました。 二ツ杁駅(名古屋鉄道本線)から、0.4キロ、5分くらいです。

名古屋駅前のホテルに宿泊。大須の本店に行って気に入った喫茶店「コンパル」の支店が駅地下街 の「メイチカ」に入っているので、サンドイッチとコーヒーの朝食を頂きに行く。カツサンドなど は美味しかったものの本店の落着きとは、当然だけどほど遠かった。(結局、翌朝の朝食もここだっ たんだけど。。。)

まずは、主税町に向かって主税町・豊田佐助邸、川上貞奴邸などを見る計画。その前に、高岳駅近 くの平田温泉を見る。近くに水晶湯もあったはずだけど、最近廃業したらしく、見つけることがで きなかった。

以前、春田鉄次郎邸に入ったレストランに来た時に気になっていた豊田佐助邸。豊田三兄弟の末弟 にして佐吉を支えた経営者。改修を終えて、この9月から公開が再開されたらしい。案内表示など が最小限で、建物そのものを見せるという感じに好感を持てた。

電力王だった福沢桃介のパートナーだった女優川上貞奴。邸は移築されてきた物だけど、”大女優” というスケールを超えた超が付く大豪邸だった。

次に桜山駅近くの「ボンボン桜山支店」。「ボンボンセンター」なる古い飲み屋小路の入り口にある。 洋菓子店「ボンボン」の支店だけど、本店とは似ても似つかないコテコテの名古屋テイストの小さ な喫茶店だった。昼食のカレーに始まって、デザートのサバランまで“喫茶部”を堪能する。暖簾 分けかと思っていたけど、40数年この店を守っている大将然とした方は人懐っこい笑顔で“従業員 です”と話されていた。

風が強く歩いている人も少ない。そんな中、名鉄(本線)で名古屋駅から数駅先の二ツ杁駅に向か う。ここから、隣駅の新川橋駅にかけての新川橋商店街が旧美濃街道の一部分で、屋根神様を頂く 江戸時代からの旧家とともに古い商店が並んでいる。仁川湯もそんな旧街道の町並みの中にある。

街道から10メートル程奥に間口が狭い建物が建ち、手前の街道に面する部分は舗装もされていない 駐車場になっている。かつて何らかの建物があったのだろう。今は、奥にずんぐりとしたコンクリ の煙突が見える。後方は土手があり、庄内川は増水し茶色の水が流れている。

建物は町家風の2階家。2房の大きな暖簾が2つ下がり、表の引き戸や回転窓がすべて開け放たれ、 テレビの野球中継の音が流れてくる。

清須市の銭湯はここを含め2軒。相方が女将に同湯の銭湯料金390円を払う。名古屋市周辺の銭湯 より10円安く、昨日入った瀬戸市の日本鉱泉より10円高い。

女将に、昭和何年位の建物か問うと、笑いながら”昭和じゃないね”という言葉が返ってきた。余 裕で大正期以前の建物のようだ。男女それぞれ、幅2間、奥行8間と細長い構造。昔の税金は建物 の間口に応じて課せられたと聞く。京都の銭湯などと同じく、幅が狭く奥行きがあるつくりになっ ている。

たたきは、意外にもコンクリではなく、えんじ色の八角形とベージュの正方形の小さなのタイルを 組み合わせた精緻な施工。遊廓などでも見られるものだ。浴室のタイルなどはオリジナルではない と思うけど、ここはそれ以前の、ひょっとしたらオリジナルの、かなり古いタイルかも知れない。

傍らの番台は、簡素な板組みながら時を経て鈍く黒光りしている。側面に6個ほどの使い込まれた 下足棚が仕組まれている。外壁側には、たたきの広さに合せ、幅が広くない肉抜き金属扉を上下に 開閉する中京地方独特の下足箱が。”PATENT.”と刻印されているだけで、錠前の銘は分からなかっ た。ただ、厚手のステンレスの板鍵の裏に下駄の絵とともに”男”と刻印されているのは尾張瀬戸 の日本鉱泉と同様だ。

脱衣所の広さは、幅2間、奥行3間半。床は籐敷き。天井は高さ2間ほどの平格天井。古い洋館に 見られるように、鏡板が幅10センチくらいの細い板を並べている。

ロッカーは、中京式の扉にモール硝子が填められた、古色蒼然とした木製のものが外壁に一列に並 ぶ。錠からは銘を読みとることが出来なかった。

その他、初めて見る佐藤精工所のアナログ体重計、番台上の小さなテレビ(客用)、床置きの業務用 扇風機などが置かれている。

脱衣所の建物と浴舎の間は、1間ほどの間があって、屋根は簡素な波板を被せただけ。そして、タ イル敷きで、水栓2機の流しのみが置かれた緩衝地帯。その角に、ライン温泉のような中京銭湯特 有の”緩衝地帯庭”の代わりだろうか、噴水口として壷を抱いた彫刻像が立つ噴水池の跡がある。 緩衝地帯に簡素な噴水。これも1つの定石と考えている。

浴室は、幅2間、奥行3間半。コンクリの浴舎だと思う。天井はグレーのプラ板が張られた山型。 中央に四角い湯気抜きがあって最高部は3間弱ほど。

男女境と外壁にそれぞれ7枚の鏡が張られているものの、カランは男女境に3機、外壁側に5機の み。外壁は天井までの高さに長方形の小さな白タイルがびっしりと張り込まれたレトロな中京銭湯 仕様。床には茶色とピンク色のタイルが、風車型に張られている。

浴槽は、幅が極端に狭い楕円形のセンター浴槽と、奥壁に接して1穴ジェット×2とバイブラ、電 気、1人用の薬湯が並ぶ。お湯は、一番風呂勢と入れ替わりで入った頃合いながら多少濁っている。。。 湯温はおしなべて41度あるいは42度弱とやや温め。昔のトイレ用の芳香剤といった感じの香りの ラズベリー色の薬湯のみ42度くらい。

ビジュアルはない。中京独特の外便所(非水洗)にあった、陶製の四角い便器は、青い細かな絵付 け模様が入った骨董品。見たこともない華麗かつレトロなものだった。

日曜日。台風の関係で雨が落ち出した頃、16:15から17:00に滞在。「定員39名」のところに相客 は5人。上がった頃には、野球中継が大相撲に変わっていた。それを観ていた爺も三々五々去って 行く。古さ故の、かなりオープンな感じの銭湯。しかし、一人残されるとひときわ強い郷愁を感じ た。

帰路は、新川橋商店街(美濃街道)をさらに進み新川橋駅へ。ここ土器野は、尾張徳川藩の処刑場 だった土地。歴史的な因縁か、雨が落ち始めた天候のせいか、空気がどんよりと沈殿しているよう に感じる。

新川橋駅に着くと、丁度、電車が出たところだった。この駅は各停しか停まらない。そして、名鉄 の本線なのに名古屋駅方面の電車は30分に1本しかなく、そのせいか、1日の乗車人員は300人に も満たない。トヨタの膝元、車社会なのかも知れないけど、都会とは思えないエアポケットだった。

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
メイン:masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp  
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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                                  名鉄本線・二ツ杁駅









                                     美濃街道。仁川湯至近




                                美濃街道・新川橋商店街。




                          土器野。尾張藩の処刑場があったとされる地域。




                                     新川橋駅

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