差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2005年3月13日日曜日 0:47
宛先: 銭湯ML
件名: 能見堂赤井温泉(横浜市金沢区釜利谷)

ナカムラです。

今日(3/6)は、「能見堂赤井温泉(横浜市金沢区釜利谷)」に行ってきました。
金沢文庫駅(京浜急行)から、0.9キロ、10分くらいです。

海とは反対の方に歩いていきます。
地図の等高線から判断して、少し登り坂かなと感じてたけど、さほどの坂道もなく現地到着。
20台くらいの駐車場の奥に、油井型の銀色の煙突と、銭湯的な建物が見渡せる。

海軍施設時代に井戸を掘ると、黒い水が出たというのが始まり。
その後、何かの女子寮になっていたらしい。
今は、お座敷がある銭湯。

15:30からは銭湯料金の400円で入れる。
その時刻より前は、1300円らしい。

正面には、「能見堂」/「赤」「井」「温」「泉」と書かれた看板。
脇に「赤井温泉」と赤で染め抜かれた暖簾が掛かる。
入ると下足箱は松竹錠で、完全フロント式。

男女別の入口の真中に、章仙画の宝船のタイル絵がある。
フロントが増築される前は、普通の銭湯の入口で、この宝船のタイル絵が正面にあったのかも知れない。

脱衣所は、元は2間半四方。それを、外壁側に半間、入口方に1間半増築している。
天井は、1.75間くらいと低い。
壁は昭和中期的の木目調の新建材だし、天板は模様の入った石膏ボードと高級感・華やかさは無論、侘びさびとも無縁な感じ。

ロッカーは、茶色のものと、新しい白色のもの。錠はともに松竹シリンダ錠。
その他、TANAKAのアナログ体重計、テーブルにプールにあるようなプラスチックの椅子がある。
それと男女境にサウナ室が鎮座しているけど、出入り口が脱衣所にしかないのは少し、珍しいかな。

浴室は、幅2間半、奥行3間とやや小振り。
天井は2段型で、白いペンキがしっかり塗られているけど、躯体自体はかなり古そうな感じを受ける。
床のタイルは、茶とベージュの2色のタイルが乱切りで組み合わさったもの。
黒湯温泉の床タイルとしては相応しいかも。

日曜日の16:00。どう見てもカラン数より多くの人数が居る。
小さい空間で、湯を使う人が多いので、湯気がもうもうとしている。
こんなに人口密度の高い経験はない。
昔の銭湯はこうだったのかなと、思いが巡る。

島カランは1つで、カラン数はセンターから4・5・5・6。カランは日の丸扇の取っ手が茶色のもの。
ここの売りは黒湯温泉だけど、カランの湯もシャワーの湯も黒湯というのは初めての遭遇。

湧出量毎分572リットルという稀有な湧出量がなせる技といえる。
しかし、水だけは黒湯ではなかった。何故なんだろうか・・・。

浴槽は、奥壁側にバイブラバス、座ジェット×2、深槽。全てに、濃からず薄からずという黒湯が満たされている。
入口方には黒湯が満たされた水風呂。
そして、奥壁の後ろに一部増築された部屋があって、白湯のバイブラバスがある。
そんなに古くに造られたものではなさそうだけど、露天ではなく、完全に室内になっている。

ビジュアルはなく、奥壁は竹垣を模したタイル。
男女境はコミカ風呂的な立体的なタイルが張られている。

設備的には中型のごくごく普通の銭湯。
しかし、ほとんどの浴槽とカラン、シャワーまでが黒湯。
浴感もなかなかいい。混雑するのも納得できる、満足度の高い銭湯だった。

帰りは弘明寺まで出て、焼肉三昧。
中島館ビルの工事の進捗は、基礎の部分の工事といった段階だった。
9月完成予定とのこと。






金沢区釜利谷町(かまりやちょう) [昭和11年10月1日設置]

町名の由来
昭和11年の横浜市編入の際、久良岐郡(くらきぐん)六浦荘村大字釜利谷から新設された町です。昭和23年5月15日の金沢区新設に伴い、磯子区から編入されました。

古くは釜利谷郷宿村、坂本村、赤井村といい、後、三村を合わせて久良岐郡(くらきぐん)釜利谷村となりました。明治22年の市町村制施行の際、三分村、泥亀(でいき)新田飛地と合併して六浦荘村大字釜利谷となり、明治30年に鎌倉郡峠村を編入されました。

西側を横浜横須賀道路が通り、金沢市民の森、釜利谷市民の森があります。
(出所)「横浜の町名」(横浜市市民局)より






浴室棟の奥に窓があるのは珍しい。


金沢文庫駅


「クスリ」の看板に小さく「赤井温泉」の看板が。