差出人: Masayuki Nakamura <masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp>
送信日時: 2013年6月8日土曜日 9:14
宛先: sento-freak@yahoogroups.jp
件名: 鷺沼温泉(習志野市鷺沼)

ナカムラです。

今日(5/11)は、「鷺沼温泉(習志野市鷺沼)」に行ってきました。 京成津田沼(京成本線)から、1.2キロ、15分くらいです。

生憎の雨の中、津田沼市街の北側にあたるJR津田沼駅に初めて降りる。駅の南東に広がる千葉工業 大学の煉瓦積みの門を見る。旧陸軍の鉄道連隊があった場所で、その遺構を引き継いでいる。大陸 での軍事作戦に鉄道は欠かせないものだった。今の新京成の路線は、鉄道連隊の敷設訓練の設備が 戦後払い下げられ、営業路線になったたという珍しい事例。訓練用にわざわざカーブを作ったりし ているので無駄に距離が長いらしい。

そんな”史跡”を観ながら南に進むと、京成津田沼駅があり、この辺りが古くからの市街のようだ。 目抜き通り(千葉街道)の歩道に屋根が架けられ、街灯には「津田沼商店会」とある。しかし、だ いぶ前にシャッター街を通り越して、半分くらいが住宅に建替わっている。

そんなアーケードの中程に廃業銭湯があった。大正15年創業で近年まで営業していた旧みはし湯。 イベントスペースの看板があったもののシャッターは閉じていた。それにしても付近には「三橋」 「みはし」という看板や表札がやたらに多い。

さらに、緩やかな傾斜した歩道を海側に進むと、交通量の多い千葉街道(国道14号線)に出る。国 道14号線は、津田沼から千葉までは多少カーブしながら、かつての”海岸沿い”を走っている。今 は埋め立てが進み海は遠くなったものの、周辺の地形、道路の形状、町並みに往時の面影が残る。 同湯は、そんな旧海岸沿いの国道14号線の傍らで今に残る関東屈指の郷愁銭湯だ。

2001年に前の経営者が廃業を決意した際、現在の経営者が経営を引き継いでいる。創業や建築年は 分らないという。しかし、昭和8年とするものと昭和29年とするものの2説あるようだ。近くの医 学博士の坂戸氏の見立てで、昭和8年に鉱泉を掘り当てている。それを熱く沸かした県内で最も早 く温泉登録された正式名称「千葉県第1号泉」。

古い魚屋がある路地を少し奥に進むとコンクリ煙突が見える。大雨の中、ゆるやかに黒煙を立ちの ぼらせている。かつては重油で沸かしていたようだけど、現在は廃材も使っているようだ。

脱衣所棟は切妻の簡素なもの。エントランスはベニヤ板と波板による手造りな感じで、手前にある 女湯への視界を遮る構造で改築されている。

番台裏は、大理石調のオレンジの装飾タイルが張られている。下足箱はなく靴棚が置かれている。 大雨なので重装備。逆さに放り出されている「鷺沼温泉」の説明板に、ザックのレインカバーを架 け、傘を立てかけ、宮古で買った小樽・ミツウマの長靴を棚に収める。

扉には丸く味のある文字で「男湯」と大書きされている。何とそこには3月からポンプの故障で水 道水を沸かしていてそれを承諾してくれる方のみご入浴下さいとある。ちょっと残念。。。

番台への扉を開ければ、うわっ、そんな声が漏れるほどの濃厚な空間。足下の番台傍らの板の間が、 半間四方で数センチ低く、脱衣所の板の間がエントランス側より数センチ高くなっている。

渋い古い木組の番台には、ご常連が話していた”きれいなねぇちゃん”と”ここらで随一の温泉” の、二枚看板の片方がキリっと座って、番台専用のテレビで韓国語のテレビドラマを観ている。千 葉県の銭湯料金は410円。

脱衣所の広さは、3間四方くらい。天井は格子が無骨な平格天井。しかし、微妙に波打ち、鏡板は 木目プリント合板に置き替わっている。板の間は”海辺の銭湯”に似合う厚板。年月に洗い晒され 鈍く光っている。

ロッカーはない。番台横に2列、丸籠が高く積まれている。外壁側に脱衣籠を収納する棚があるも のの、隙間なくご常連の多種多様の湯道具が並ぶ。シンプルな空間で大きな物は置かれていないけ ど、棚以外にも常連のタオルがたくさんぶら下がる。少々、雑然とした感がある。

その他、中央には幅広の白いレザー張りの縁台、男女境側にはソファ、TANAKAのアナログ体重計、 千葉のFURUYAの牛乳が入った2枚扉の古い冷蔵庫などがある。

浴室は、あの千歳船橋・船橋湯(廃業)を思い出す濃厚な郷愁が満ちていた。血が逆流するような 感覚をおぼえる。広さは幅3間弱、奥行4間ほど。天気が悪く暗いのに加え、外壁側の窓という窓 が蔓草の大きな葉で覆われて穴蔵のような独特の雰囲気になっている。

島カランは1列で、カラン数はセンターから4・5・5・7。天井は、2段型のようだけど、2段目は 構造材剥き出しの船底天井で、1段目からの高さもほとんど無い。通常の2段型の天井を補修とい うか、大がかりに改築した印象を受けた。どうなんだろうか。

さらに、内装のタイル使いが見る者をイニシエに誘い、泣けた。床は、純粋レトロ銭湯のトレード マークとも言える亀甲型の白タイル。小振りなものが平滑に張られている。壁は遊廓でも見られる 黄色の釉薬を施した中判のもので、窓枠との境に、グリーンの二本線の間に菱形を連続的に重ね並 べたマジョリカタイルをアクセントとして走らせている。

浴槽は、奥壁に接し、ジェット等何らの仕掛けがない深浅2槽。円弧を描くように手前に張り出さ せて、入るスペースに余裕を持たせている。残念だけど「千葉県第1号泉」の代わりに、バスクリ ンのような入浴剤が投じられている。それと知らずにやってきた地元客は、しきりに嘆いていた。 ポンプなんて1日あれば直るじゃないかとぶちまけている。ポンプを直す資力がなく、結果廃業に 追い込まれた銭湯を何軒も知っている。ポンプを直さないのではなく、直せないのだろうと感じた。

深槽のお湯は45.5度くらい。かなり埋めてしまった浅槽はそれでも43度くらい。きれいとは言い 難い濁ったお湯だった。しかし、穴蔵のような湯治場の雰囲気とは合っている。浸かっていると、 精神が徐々に解放されていくのを感じることができる。

ビジュアルが、また泣ける。奥壁にはペンキ絵。城西広告社代表だった柴田さんの絵だろうか、か なり黒のくすみがある「西伊豆三津/5.6.13」の絵。柴田さんは、2005年には引退していたと思う。 だとすれば、平成5年のものだろうか。20年も前のペンキ絵だ。

タイル絵が充実していて、さらに泣ける。ペンキ絵の下には九谷・鈴榮堂のクレジットがある絵付 けタイル絵。悠然と池を泳ぐ4匹の鯉。定番の松は無く、鯉が清澄な蓮池を泳ぐという初めて遭遇 する希有なもの。気品漂う優れた絵だった。

男女境には鈴榮堂の3幅のタイル絵。忠臣蔵/三段目道行、鶴が羽ばたく図、瀧沢で瓢箪で水を汲む 図。3枚の絵に落款はなかったものの、女湯のタイル絵の一部に聞いたことがない「翠光」と読め る銘があったようだ。

上がりは、相方を含め同行の3人との二次会を控えていていたので牛乳を飲まなかったけど、二枚 扉の古い冷蔵庫には地場の”FURUYA”ブランドの牛乳が入っていた。

土曜日の16:20から17:10に滞在。相客は4人ほど。木組みの番台、ロッカーなどない脱衣所は銭 湯の原風景を伝えている。千葉県のトップナンバーの温泉が無くて残念だったけど、浴室の強い郷 愁にただただ感動していた。繰り返すけど、関東屈指の郷愁銭湯だと思う。

上がりの一杯は、化石のような商店街”津田沼商店会”の中程にあった「もり」という刺身系の居 酒屋。シニアの憩いの場のような居酒屋で、途中から大音量のカラオケが鳴り出したので、三次会 へ。津田沼も案外ディープだった。。。

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
メイン:masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp  
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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                   表の通りはかつて海岸線だった国道14号線。同湯側が海側。


































  坂戸医院の医師の勧めで温泉を掘ったらしい。近年まであったようだけど、建て替わり医院の看板も見あたらなかった。




                          旧みはし湯。大正末の創業の銭湯らしい。









                               京成津田沼のアーケード




                           海岸線だった国道に残る古い煉瓦積の建物




                                 単線の連絡線




                              旧陸軍鉄道連隊の遺構




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