差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2005年4月4日月曜日 23:23
宛先: 銭湯ML
件名: 新元湯(名古屋市中川区下之一色町)

ナカムラです。

今日(4/2)は、「新元湯(名古屋市中川区下之一色町)」に行ってきました。
数にこだわるタチではないけど、丁度200湯目。
「新人王」か・・・と思いながら暖簾をくぐった。

名古屋ツアーの目的は、旧中村遊廓の牛若楼(ビジネスホテル「牛わか」)に泊まって、妓楼内部の撮影をすること。
そして、港町にはいい銭湯があるとの法則なので、旧漁師町の下之一色町の洋風レトロ銭湯「栄湯(下之一色町繰出)」と「新元湯(同南ノ切)」に浸かること。
遊女の怨念に祟られないか、先走って不安になっていたりした。

しかし、前日に電話すると、ビンゴ!!
「牛わか」は最近休業、取り壊し予定。
「栄湯」はご主人が病気で昨年12月に廃業、既に更地になっているとのこと。
改めて、自分の追っているものが、時代的に、風前の灯火なんだと感じる。

さて、新元湯。
名古屋駅から近鉄名古屋線で伏屋駅下車。名古屋から近いけど、まさに田舎の駅という感じ。
ここ歩くと3キロくらいだけど、さっき買った地図(「でか字まっぷ名古屋(昭文社)」)に誤りがあり向こう側に渡れない。
既に15キロくらい街歩きをした後なので、タクシーを使う。

途中、2年前に廃業した「エビス湯(同西ノ切)」があったので、タクシーを降りて寄っていく。
ここも独特のファッサードを持つ、稀有な銭湯だった。
さすが、かつて殷賑を極めた漁師町だ。

街の道は極めて細いけど、浅間神社付近は参道なので、その先の鳥居を結ぶ道は広い。
その中間くらいに、大正時代に建てられて洋風のファッサードを持つ「栄湯」があった。
建物を壊して更地にしたばかりなのか、アスファルトすら張られていなかった。

隣には、こんなに寂れた街なのに、「石松」という喫茶店がある。同町には他に何軒か喫茶店を見かけた。
名古屋は本当に喫茶店が多く驚かされる。文化が全く違うのだろう。

漁師町の下之一色町には、最盛期に7軒の銭湯があったらしい。
アルプス湯?、エビス湯、栄湯と廃業し、残るは同湯だけになってしまった。

新元湯は、川際の魚市場のすぐ向かいにある。
女将の話では、大正時代に建てられたものらしい。
なるほど、外観的には大正時代によくあった建物に仕上がっている。銭湯としては出色だろう。
しかし、空襲で焼け、躯体はそのままで、再建をしたのが今の建物とのことだった。

「ゆ」と書かれた紺色で縦長の大きな暖簾が架かっている。
暖簾をくぐると、番台裏は緑と白の市松模様のタイル張り。

その真中に4枚で構成された小さなタイル絵。
松林の砂浜に和舟が引き上げられている。沖には島があり鳥居が見える。空にはかもめが舞っている。そんな図柄のタイル絵。

絵付けのタイル絵ではなく、絵柄の部分が凹になっていて、釉を流し込んでいる。
色彩的な華やかさはないけど、マジョリカタイルと同様の手法のタイルで作られたタイル絵。
「H.S」とのイニシャルがある。昭和2年築の「亀の湯(横須賀市汐入)」にも同様のイニシャル、同様の手法の鯉の滝登りのタイル絵があった。
マニア好みの小さな発見・・・。このタイル絵の出自は・・・。

渋い戸を開けるとタタキがあり、傍らに番台。
低いし、幅広い。広い。
名古屋の銭湯料金は380円だけど、ここは350円。

女将は番台にいなくて、女湯のロッカーに、つり銭などを置いているようだ。
そんな細かいところまで見渡せる。オープンさでは、マイベストワン。
ご婦人3人の裸身が目に入る。まぁ、みなさんご高齢であったが・・・。

風呂銭を払ってからスノコに上がり、靴を納めるが、こちらには下足箱はなく、古風な棚があるだけ。

脱衣所の広さは、半間のタタキ部分を入れて、幅2間、奥行3間。
天井はコンクリに白ペンキを塗ったもので、高さは2間。
ペンキは塗ったばかりらしいけど、コンクリが痛んでいるので、すぐ剥落すると女将は困り顔だった。

脱衣ロッカーはモスグリーンに塗られたオール木製ロッカー。
上2段は小振りの「SEKI−JYO」というものが付いていた。下はまた違う錠だったけど、銘等は判らなかった。
脱衣籠もいくつか詰まれている。

その他、真中にテーブルとウッディな背もたれのあるベンチ。
旧型マッサージ機、ソファ、TANAKAのアナログ体重計。

浴室は、幅2間、奥行3間。
天井は、入口と奥壁が高さ2間、真中が2間半の山形。湯気抜きなどはない。

床のタイルが亀甲型の平滑なタイル。
浴室の壁には全て白の古いタイルが回されていて、その上部に白と緑のマジョリカがタイルがアクセントを付けている。

カランは男女境に、冷温レバー式のものが4つだけ。
その手前のやや大型のタイル張りの台があり、見たこともないような旧型のカランが2組あったけど、機能はしていなかった。
桶は白ケロリン。椅子は緑椅子。

主浴槽は、浴室の真中に半径1間の正円形の浴槽。
内部は2段になっていて、大小の豆タイルが、古くからのものであることを表している。
温度は44度くらいか。足元からかなり熱い湯が流れ出てくる。

年配者ばかりだったけど、ご常連はカランを使う人は少数で、主浴槽から湯を掬って、頭も身体も洗っていた。
小生も真似して、白ケロリンで湯を掬って、頭、身体を洗っていく。

副浴槽は、奥壁に接して、深浅2槽。何の仕掛けもない。
湯は両方とも「じっこう」。
両槽の境に、高さ半間ほどの衝立があるのが珍しい。
タイルにペンキで、「湯将中/湯薬」と旧字体で書かれていた。

上がりは名古屋牛乳のフルーツ牛乳80円。
女将が19年前に嫁いできた時は5軒の銭湯があったとのこと。今は1軒。
そんな話をしていたら、冷蔵庫からポンジュースを出してご馳走してくれた。
大女将も健在でらした。90歳近いかも知れない。

やはり、港町にはいい銭湯があった。

すぐ近くの蕎麦屋で味噌煮込みうどんと生ビール。
近くに食べ物屋はないようだ。
入り際に、新元湯で一緒だったご常連とすれ違った。