震災日記 2011.03.11-18.

3月11日金曜日
午後、三陸沖を震源とする大地震が起きる。首都圏の交通網が停止し、会社での宿泊者が出るなど、帰宅難民の発生で終日混乱。妻にメールを打つとともに、世田谷の母に電話をかけ、それぞれの安全を確認。その後、メールや電話は混雑や通信規制でつながりにくくなる。会社は交通機関が動くまで待機との指示。夜半に都営三田線が復旧したので帰宅。普段は歩く人は少ない17号線を、徒歩で埼玉方面に向かう人多数。あたかも行軍のごとき光景。

3月12日土曜日
朝にいつも通り整形外科医院で首と腰のメンテナンス。それ以外は、地震で転覆したPCの復旧や棚から落ちた書類を整理しながら置き場所を変える。テレビを観て、被害の大きさに驚く。そして、昼過ぎから福島の原子力発電所の異常が伝わり始める。夕方には建屋の上部が水素爆発で吹き飛ばされる。容易ならざる驚きのニュースが続く。夜は近くの十條湯へ。家でテレビを観ているのか、商店街を歩く人が少ない。

3月13日日曜日
所用で高輪台へ。恵比寿のモンベルで非常用のアルファ米や携帯用トイレなどを購入。ローソクは既に品切れ。代官山で暢気にお茶して赤羽へ。関東の人々もテレビで災害の甚大さと原子力発電所の容易ならざる事態を知り、食料や燃料などについて、備蓄モードに入ったようだ。夜半に初めて聞く「計画停電」なる言葉。東電の停電地域を知らせる資料は混乱で驚くほど誤りが多いが、テレビ局はただただそれを読み上げるばかり。明朝、地域輪番での計画停電が始まる。

3月14日月曜日
結局、計画停電はなかった。しかし、首都圏の鉄道は半分以上が止まっている。停電モードから直ぐにはリカバリーできない。各駅で混乱状態となる。幸いにも都営三田線は運転していたものの、近時経験したこともない極限の混雑。出社時刻に3/4くらいしか社員が揃っていない。緊急に投資先の工場損壊などの情報をまとめファンドマネージャーを交えてミーティング。株価は寄りつきから大幅下落。。。その間も、原発の異常が逐次情報端末から流れる。仕事は捗っていないが、厭な感じの疲れが溜まっていく。

3月15日火曜日
日経平均株価は、一時1400円を超える暴落。各業種の見通し、損保業界の損失額の推計などを行い断続的にミーティングに臨む。非常時ゆえ、海外資産を売却し手元に円キャッシュを積むのか、円安ではなく、急速に予想外の円高が進む。投資環境としては三重苦の状況が展開するなか、福島第一原子力発電所は3号機建屋の爆発、2号機の火災と断続的に厳しいニュースが続く。避難区域も拡大。微量ながら首都圏の放射能測定値も上がっているという。外資系証券会社では幹部の帰国が続いている。

3月16日水曜日
相変わらず原発が鎮静化に向かう様子はない。定期検査で動いていなかった4号機。その使用済み核燃料が発熱し始めたらしい。2日連続でストップ安の東京電力の株価が今日もザラ場では値が付かず。とうとう地震前の1/3にまで売り込まれる。定期預金のつもりで保有する個人投資家も多い銘柄だが。。。

3月17日木曜日
朝起きるとドル円が76円。16年振りの最高値を更新。何が起きたのか分からず・・・。とりあえず、決めていたトリガーポイントを越えたので個人のドル預金を手配する。しかし、みずほのATMがダウンしており予定ほどは投資できず。。。非常事態時のシステムトラブル。マーケットでは金融界のお荷物とも囁かれる。数年間みずほで暮らし、一宿一飯の恩義がある。しかし、金融機関として致命的な3日連続のシステムダウンが続く。頭取が記者会見で何と復旧は3連休明け以降になるという。夕方、経産大臣は「首都圏大停電の恐れ」と発表。翌日のフォーメーションが組まれる。宿泊組、徒歩組、自宅で会社PCをリモート操作する組、横浜のバックアップサイトに出勤する組・・・。小生は遅れてもいいから歩いて出社する組。。。

3月18日金曜日
昨夜は寒かったものの大停電に至らず。早めに家を出るが通常の時間で出勤できる。原発に何らかの進展は見えない中で、自衛隊、警視庁、東京消防庁の必死の放水作業が続く。そのためではないだろうが、東電株は2割も値を戻す。福島原発の廃炉等のバックエンド費用、販売電力量の減少、高い燃料での火力発電所の焚き増し、コンベンショナルな発電所への建設投資。放射能被害は国が担うとしてどの程度がフェアバリューなのだろうか。。。夕方、みずほの友人に見舞いのメールを送る。今日もシステムトラブルが続く。連休中も店を開け預金の払い戻しを行うという。2002年の大規模トラブル時にもなかった異常事態が続く・・・。早く帰ろうとするが、諸々の会議が断続的に入り、帰宅は日付が変わる頃。。。