差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2006年1月28日土曜日 12:21
宛先: 銭湯ML
件名: 外手湯(東京都墨田区本所)

ナカムラです。

今日(1/24)は、「外手湯(東京都墨田区本所)」に行ってきました。
両国駅(都営大江戸線)から0.6キロ、10分程度です。

同湯は、今月末で廃業との情報が入った。
東京下町の伝統銭湯。そして、「石ケン シャンプー 渡し口」なる、日本がまだ貧しかった時代の「遺跡」が残っているらしいので、急行する。

駅から地上へ出ると、すぐに横網町公園。この辺りを通るのは、日本大学講堂(旧国技館)を撮影した後だったので、約20年振り。冬の夕方だったその時に、強い霊気を感じた。帰って調べると、ここは陸軍被服廠跡。関東大震災で約4万人の市民が避難し、約3万8千人もの人が焼死または窒息死した場所だった。
今日、かつてほどの霊気は感じなかった。やはり、人間がスレたからか、感受性が乏しくなったからか・・・。

清澄通りを北上してほどなくして外手湯。ここは、旧外手町※。屋号は地名から来たようだ。同湯の塀には12月20日付の「建築計画のお知らせ」が掲示されている。524uの敷地に6階建ての共同住宅が建つようだ。

※本所の範囲は隅田川・竪川・横川・源森川の内で、明治11年本所区となり、昭和5年石原町・荒井町・番場町・若宮町・北新町・表町・松倉町・中ノ郷横川町・外手町の9町の各一部をあわせた町域を厩橋1〜4丁目とし、同22年墨田区所属、同41年新住居表示を実施した。その際「厩」の字が当用漢字になく、やむを得ず消滅していた「本所」をこれ幸いと命名した。だからここが本所の本村、中心地だったという訳ではない。(23区辞典より)

現在の建物は昭和36年築。入口部は大振りの唐破風で、その奥、脱衣所屋根は立派な千鳥破風が載っている。紺地の五房の暖簾。真中に銭湯のマーク、一番端縦書きで「外手湯」と染め抜かれている。先入観で見るからか、小粋に見えてしまう。

エントランススペースは、清潔でピカピカ。靴脱ぎには、モスグリーンで大きさが不揃いの小石タイルが張られている。やはり小粋、高級感もある。番台のあった名残で、松竹錠の下足札は、右が黒字で、左が赤字で書かれている。

脱衣所は、昔3間四方だったようだ。今は男女境側がフロントスペースに割かれている。その代わりか、庭に通じていた、幅1間ほどの幅広の縁側に屋根がかけられ、脱衣所として増築されている。その外には小さいながら瀧を設えた庭、池があるけど、水は満たされていない。

天井は豪華だ。ベースは折上格天井だけど、折り上げ部の外側に漆喰の水平部がある。欅と思しき格子も見事。鏡板も正方形ではなく、長方形の大振りの1枚板が充てられている。

かつて大黒柱にあっただろう柱時計が、ゼンマイを巻く手間のせいか、フロント脇に移されていたが、大塚の木村建設の名前が記されていた。同社が施工したものなのだろう。

浴室は、幅3間、奥行4間。天井は、ウィング幅1間の2段型。窓はアルミサッシに置き換わっているけど、その周囲や梁は手間のかかる白木のまま維持されている。
島カランは、御影石調のタイルが張られたものが1列。カラン数はセンターから、6・5・5・5と、ゆったりとしている。混んでいるというほどでは無いけど、客は絶えず回転している。

さて、「石ケン シャンプー 渡し口」はと、男女境脱衣所側の立ちシャワーへと向かうと、無い。予想に反して、男女境の釜場側にある。またこれも予想に反して膝くらいの低い位置にある。男女境に、男湯から女湯へ斜めに塩ビのパイプがあり、女湯の床がごく一部分見える。女湯からも同様のものがある。

地元の矢部の湯で若いカップルがシャンプーの小さな容器を女湯に投げ渡している光景を見たことがある。しかし、それは銭湯に来ることが非日常的だから、行われた行為。この設備は、銭湯に来る夫婦が日常的に使うための設備。いつごろまで実際に機能していたのか。少なくとも、石鹸が貴重だった、数十年昔の頃なのだろう。貴重な遺跡が無くなってしまう。

さて浴槽。センターから、薬湯槽、5点座ジェット・ボディーマッサージ槽、主浴槽で逆L字型のバイブラ槽。渡し口の直ぐ横の薬湯槽が一番熱くい。草津、ハーブ、お茶、実母散、草津、お茶、よもぎの順番。壁に札が架っている。その他は41℃くらいか。恐らく井戸水を使用しているのだろう、若干の着色がある。

ビジュアルは、中島師の富士山のペンキ絵。

上がって、脱衣所に居ると、背後に殺気を感じる。
ナカムラさんですかと、にこやかなDEEP ACID真田氏が立っている。

上がりは、スーパードライ240円。フロント下と、入口(内側)に、廃業の告知。
最終日、1月31日は、長年の感謝を込めて無料とする旨が書かれている。

寒い中、真田氏と両国駅まで歩く。
今日は、非常に寒い。
足元には凍った雪が残っていたりする。
真田さんは、湯上りにコート無し。変人(変人は小生です。失礼!)、いや、タダモノではない。


両国駅。かつて、総武本線のターミナル駅の名残で、立派な駅舎が残っている。しかし、その機能は東京駅に移ったので、線路は外され、国技館と江戸東京博物館になっている。

設計:鉄道省(坂本鎮雄)
竣工:昭和4年(1929)
構造:鉄筋コンクリート造2階建て
所在地:墨田区横網