差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2007年8月28日火曜日 23:29
宛先: 銭湯ML (sento-freak@kt.rim.or.jp)
件名: 末広湯(輪島市河井町)

ナカムラです。

今日(8/19)は、「末広湯(輪島市河井町)」に行ってきました。

ANA747便、10:05、羽田発。能登空港経由で正午ごろに輪島に入った。能登半島も驚くほど に近い。そして、6軒の銭湯を回り、レトロな「新橋湯」、「白山湯」に入浴。「喜久乃湯」は昨年 廃業していた。

本日、三湯目となる「末広湯」は、改築20年の何の変哲もない銭湯。あまり気合いが入らない 外観だけど、素通りはできなかった。

ここは、かつて「観音町」と呼ばれた遊廓だった場所だ。目抜き通りが「棹」で、その基部にある 公園が「胴」というように、街路は三味線を模している。その周辺に妓楼が立ち並んでいた。現 在でも5軒(加納亭、柳亭、サイダ亭、福井楼、キタムラ亭)ほど往時の大きな建物が残る。

同湯は、油井型の煙突が後方に見える。通りには行燈型の広告灯が立つ。夏の暑い夜、紺地 のオリジナル暖簾の前の通りには、打ち水がなされている。何とも粋な感じだ。

同湯は20年前の改築だけど、現在の大将は三代目で、明治期の創業。既に100年を超える 歴史がある。加納亭や柳亭などは豪壮な妓楼建築だけど、遊廓の建物には娼妓や客が入る風 呂は無かった。同湯がその機能を一手に担い、当時は1日800人からの客のうち、600人が 遊廓からの客だった。器量のいい売れっ娘は、一日に三度も同湯を訪れたという。

話してくれた三代目は、彼女らと同世代だったはずだ。自らを娼家へ売った両親へ、搾取されな がらも健気に送金する話を、娼妓への労りに富んだ優しい表情で話してくれた。駆け出しだった だろう大将にとって、若い娼妓たちは同志だったのかも知れない。

小生が暖簾をくぐると、ロシア系の若い美女2人が上がるところだった。恐らく、スナック街に変 わった観音町で働く人なんだろう。とりあえず、声をかける・・・。かたちは変われど、余所から奇 麗な女性がやって来るという伝統は受け継がれているようだ。

浴室は、幅2間半、奥行3間。天井はフラットなウィングが1間半の2段型だ。当世館浴場(休業) や桃の湯などの横須賀銭湯と似た古い作りだ。

島カランは1列で、カラン数はセンターから4・3・3・2。下にレバーがあるシャワーが全てのカラ ンに設置されている。カランは、取っ手が透明な青・赤のもの。スーパー銭湯で見かけたことは あるけど、普通の銭湯で見るのは初めてかも知れない。

浴槽は奥壁側に、センターから、薬湯(ブルー)、ジェット&バイブラ、何の仕掛けもない素の浴槽 の3つ。釜場への通路というものがないので、浴室の面積の割に浴槽の面積は広い。

また外壁の更に外に、3〜4人用のスチームサウナがある。なかなか清潔で居心地のいいもの だ。水風呂は無いものの、ノズルが6つほどあるボディシャワーがあって、水でも使えるようにな っている。

床のタイルはグレーの厚手のもの。照明は電球色の落ち着いたものが使われている。そして、 ビジュアルは幅2間の奥壁全面が松林と富士山のタイル絵になっている。女湯は鯉の滝登り。 一方だけで当時100万円はしたという。今だったら、とてもこんな設備投資はできないと話され ていた。

14:00から23:00までの営業。小生が上がる頃には清掃が始まった。

遊廓跡にある今でも美人が通う湯。紺地の暖簾や打ち水。気負いが無く、歴史が受け継がれ ている感じがした。 いい銭湯だ。

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
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