差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2003年12月28日日曜日 1:55
宛先: 銭湯ML
件名: [sento-freak:04678] 住吉湯(横浜市南区)

ナカムラです。

今日(12/27)は、「住吉湯(横浜市南区)」に行ってきました。
弘明寺〔グミョウジ〕駅(横浜市営地下鉄)から20分程度です。

その前に弘明寺駅界隈の銭湯を探索・・・。

まず、「すみれ湯」。千鳥破風の入口を持つ典型的な木造銭湯。壁はかなりクラビレた灰色のモルタル塗りで、かなり黒ずんでいる。油井型の煙突も古色蒼然(黒色)として、なかなかのボロさ。

中でも目を引いたのは、下足箱の錠がレアな「富士錠」が整備され統一されていること。(なかなかな銭湯の予感)また、番台へ通じる戸が、欅なのかな、古いけどかなり立派な材で出来ている。「入りたい」という衝動にかられた。近々、改めて浸かりに来ねば・・・。

次は「若宮湯」。大通り(鎌倉街道)に面している、マンション1階の黒湯の温泉銭湯。近くに若宮八幡宮があり、若宮町もある。但し、同湯は通町。

次は、「中島館」。かなり鋭角の千鳥破風の入口を持つ銭湯。弘明寺の商店街はかなり栄えているが、そこからも近い。黒湯の温泉銭湯のためか、車で乗り付けた中年のおじさんが暖簾をくぐって行った。中はかなり改装されている感じなので、優先順位は落ちるけど、そのうちにここの黒湯にも浸かりに来なければなるまい。

さて、本命の住吉湯へ。途中の大岡小学校には、昭和47年の創立100周年の碑が校門の外に立っている。戦災にも合わず、戦後の一時期は焼けた伊勢佐木町を超える賑わいがあった弘明寺界隈。どんな発展をしてきた町なのかな。

弘明寺を離れ、細い道を井土ヶ谷方面で進んで行くと、やはり細い路地に住吉湯はあります。隣はお決まりの中華屋。向かいに散髪屋。油井型の煙突。入口はモルタルの箱が乗っかっている横浜によくある形式。ただ、屋号等何も書いていない。暖簾は「ゆ」「ゆ」と2つ書いてあるもの。あまり見ないものだな・・・。

入口正面には章仙画のタイル絵。宝船の図。傘立てが邪魔でよく見えないけど、今まで見たものよりも、船に乗っている人物がかなり精巧に描き込まれている。

下足箱にはおしどり錠。59番まで。茶色のアルミサッシの戸を開けて番台へ・・・。

番台は、前方がカーブしている新建材でできているもの。高く、両サイドに衝立が付けられている。

番台の女将は茶髪のお姉さま。といっても歳は60は超えている?という感じ。バアさんというほどでもないが、茶髪というのは・・・。(黒髪に紫のカラーリングというのはあるが)

天井は折上げ格天井(5×11)。茶色のしっかりとした材で組まれている。

柱には「職方一同」と書かれた黒い柱時計。現役で、ゆっくり振り子を揺らしている。

梁は太い。「Asahi」の旧型扇風機が付いている。そして、この銭湯の特徴として、梁の上下にガラス窓が回してある。縦じまの古いガラスが嵌められている木製枠のもので、外壁側と入口側にずっとある。なかなか、採光に工夫している脱衣所となっている。

広さは3間四方。決して狭くはないはずだけど、縦置きの島ロッカー、大型のソファ、テーブル、丸椅子、雑誌が山と積まれている台、大型テレビ、そしてこの銭湯は浴室をを含め観葉植物が多く配置されている。なので、一番風呂上りの数人が居ると、やや狭く感じた。

メインは外壁側のロッカー30個。錠は「TOKYO」と書いてあるもの。丸籠も6個ほど積んである。

浴室は、幅3間、奥行き3間半。天井は2段型。島カランは1つで、カラン数はセンターから6・4・4・6。日の丸扇の刻印がある丸みのある旧型。センターと外壁側にシャワーが付いているが、島カランは鏡すらないプレーンなもの。しかし、台の幅は広く、浴室全体にタイルは新しく改装されている。

浴槽は、奥に深浅2槽。両方ともヘルスケミカルの薬湯「じっこう」になっている。先週行った「鶴の湯(横浜市神奈川区)」もそうだったけど、浴槽の底が砂のようなものでザラついてる。何で・・・。

浴槽の上には、章仙画(池・滝に鯉と金魚等)のタイル絵(4×20)。その上にはペンキ絵。富士山と川と左に山道の図。「梅の湯(川崎市川崎区)」で見た図と全く同じで、他にも何回は同じ図を見ている。丸山師?・・・。

センターには4×6のタイル絵が4枚。
奥から、「日本勝景色 瀬戸内海 鞆浦」、「柏ゴウ■初二」の朱印がある、滝、入江、小船の図。章仙画の池に松、燈籠の図。福二画の牛若丸と弁慶の図。銘がない、滝と民家の遠景の図「初二」というのは初めての遭遇・・・。(福二?)

浴室にも観葉植物と石造りの彫刻があり、少し変っている。椅子は普及品。桶は黄色のケロリン桶。

一番風呂勢が帰った後は、小生を入れて3人程度の入り。

横浜市南区は横浜の下町。そのさらに奥まった住宅地にひっそりとある湯。戦前からの営業で、現在の建物は昭和39年築とのこと。「初二」銘のタイル絵がどんなものかは知らないけど、複数の作者のタイル絵が落ち着ける湯だった。

帰りは井土ヶ谷で電車に乗って、黄金町で途中下車、伊勢左木町を散歩してエグザスでひと泳ぎ。泳いでから風呂&サウナというのはあるが、今日は逆だった。










(出所)横浜市浴場組合のHPより。

南区井土ケ谷中町(いどがやなかまち)
[昭和11年11月1日設置]

町名の由来
 昭和11年の町界町名地番整理事業の施行に伴い、井土ケ谷町字八反目、沖田、久傳(でん))、高免、大鏡(全部)、鳥井戸(全部)、坊ノ后(全部)、大橋詰(全部)、宿ノ前、鰯(いわし)袋、鶴巻、四反田の一部および南橋から新設された町です。

昭和18年12月1日の南区新設に伴い、中区から編入されました。
古くは久良岐郡(くらきぐん)井土ケ谷村といい、明治22年の市町村制施行の際、大岡川村大字井土ケ谷となり、明治44年の横浜市編入の際、井土ケ谷町となりました。

南側を大岡川が流れ、北東側を環状1号が通っています。北側を京急本線が通り、井土ケ谷駅があります。
(出所)「横浜の町名」(横浜市市民局)より