洲崎カフェー街(洲崎パラダイス) S60.8.5

現在の東陽1丁目は、住居表示制度実施前は深川洲崎弁天町1丁目と2丁目。
明治19年根津遊廓の移転のため、海面を埋立てて造成した、長崎の出島のように遊廓だけの島だった。

根津遊廓は、慶応4年(1868)に設置。その後、明治17年大学南校医科(後の東京大学医学部)設置の都合によって、明治21年12月をもって禁止。吉原に移転するにもそのスペースがなく、この地を埋め立てて、移転した。

根津からの移転業者は83軒。明治42年には、業者160軒、従業婦1700人、大正10年には業者277軒、従業婦2112人。

戦後「洲崎パラダイス」と称する特殊飲食店街になってからは、昭和29年にカフェー220軒、従業婦800人。
昭和33年4月1日の売春防止法施行によって、すべての営業が廃止された。