差出人: Masayuki Nakamura
送信日時: 2005年7月17日日曜日 0:49
宛先: 銭湯ML
件名: 太平館(横浜市港北区大曽根)

ナカムラです。

今日(7/16)は、「太平館(横浜市港北区大曽根)」に行ってきました。
大倉山駅(東急東横線)から、0.7キロ、10分くらいです。
大曽根商店街という取り残された商店街の中心に位置しています。

以前は商店街に接道していたけど、建て替えたときも銭湯を後方に下げ、商店街に接する部分を貸し店舗として今に至っている。
脱衣所の2階がアパートだったり、入口の前が貸し店舗だったり、このような銭湯の立地は多い。

昭和42年改築のレトロな雰囲気の銭湯。
女将の2人の弟さんは、太平館(横浜市西区久保町)、大黒湯(横浜市中区本牧元町)を経営している。
この3つの銭湯建築は同じ棟梁によって建てられた。

入口は入母屋屋根の黒瓦。
カナリヤ錠の下足入れが数多く並ぶ、広いスペースになっている。

番台は木組みしっかりしたもの。左右には簡素ながら彫り込みがある仕切りがある。
番台の高さは低く、女湯の方に衝立もない。図らずも女性の背中が視界に入ってきた・・・。

脱衣所は3間半四方。大黒柱はタイル巻き。オリジナルではないけど、柱時計も掛かっている。
天井は残念ながら、クロスで蓋されているけど、かつては折り上げ格天井だったのだろう。

島ロッカーが斜め置きに2つ。脱衣籠も積まれている。
昭和32年に建てられた本家筋の久保町の太平館の方がいい材料で造られている。

その他、冷蔵庫のほかにビールも入った自販機。Yamatoのアナログ体重計。マッサージ機などがある。
窓や扉が開け放たれて、夏の銭湯の雰囲気になっている。

浴室は大きい。幅3間半、奥行は4間半。
島カランは2列で、カラン数は9・7・7・7・7・9。52個もある。

浴槽jは、3槽。小さな白湯のほかは黒湯の深浅2槽。
黒湯は熱いと聞いていたけど、温度は42度に自動調節されるらしく、長く入っていることができる温度だった。
同湯の黒湯は濃いことで有名。なるほど、漆黒の黒湯と言ってもいいかも知れない。透明度は無いに等しい。

隣駅の綱島駅は、かつて綱島温泉駅という駅名で、一帯には温泉旅館が並んでいた。
同湯は、鶴見川を隔て、そこから数百メートルしか離れていない。価値のある黒湯なのかも知れない。

ビジュアルは、奥壁に早川師の西伊豆。お決まりの波が弾けている。
浴槽上とセンターは、モザイクタイル絵。久保町の太平館には、章仙画の味のある灯台・海・半島の図のタイル絵があったけど、同湯はやや簡素化されている。

土曜日の19:30から20:30に滞在。
こんな大きな、そしていい黒湯がある銭湯なのに、一時浴室には小生だけとなった。

上がりは自販機でモルツを買って、女将さんと話をしていた。
それにしても、古風な番台に鎮座する同湯の女将さんはキュートだ。

湯船から見ていたら、何故か男湯に下りてきて、バレリーナのように腰より足を高く上げる体操をしていた。
白いジーンズをはいたスタイルもいい。
60歳は優に超えているはずだけど、とてもそうは見えない。こうありたいものだ。










港北区大曽根(おおそね)一丁目
[昭和57年7月19日設置、住居表示]

町名の由来

昭和57年の住居表示施行に伴い、大曽根町、樽町の各一部から新設された町です。

古くは橘樹郡(たちばなぐん)大曽根村といい、明治22年の市町村制施行の際、大綱村大字大曽根となり、昭和2年の横浜市に編入の際、大曽根町となりました。

町名は旧村名を採りました。地名研究で「ソネ」は「自然堤防」または「長い嶺続き」を意味するといいます。
二・三丁目の北側を鶴見川が流れ、一丁目と二丁目の境を東急東横線が通っています。

「横浜の町名」(横浜市市民局)より