差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2005年10月30日日曜日 22:24
宛先: 銭湯ML
件名: 宝湯(横浜市鶴見区)

ナカムラです。

今日(10/23)は、「宝湯(横浜市鶴見区)」に行ってきました。
花月園前駅(京浜急行)から、0.8キロ、10分くらい。旧東海道に面している。

数年前に「ふれーゆ」の温水プールで泳いだ後、そこの展望風呂にはは入らず、同湯に寄ったことがある。クルマを前に止めさせてほしいと言うと、好々爺は笑顔で承諾。風呂に入る間だから30分位と付け加えると、自分ところの客だとは思わなかったらしく、入るの?と驚いた顔をしていたのを憶えている。

同湯は今日で廃業。表にはそれらしい告知はない。
暖簾を潜ると正面に鈴榮堂のタイル絵。河口水上に建つ六角堂や帆かけ舟を描いたもの。銘はない。下足箱の錠は地元鶴見の冨士錠。横浜近辺では、古い銭湯の証のようなもの。

番台への戸を開けると番台。木組みのしっかりしたもの。しかし、横に無粋な高く大きな衝立が取り付けられている。お金を受け渡しする部分は、幅が10センチくらいしかない。ここまで厳重に視界を遮っているのも珍しい。

番台には、小学生の2人姉妹がかわいらしく納まっていた。千円札を渡すと600円バック。「ありがとうございました」とややぎこちない。普段からなのか、最後の日のお手伝いなのか・・・。

脱衣所の広さは、幅2.25間、奥行3間くらい。天井は折り上げ格天井ながらクリーム色のペンキで塗り潰されている。格子は細く、天板もさほどの材ではないようだ。50年余りの営業といっていたので、戦後の資材不足の時代に建てられたものかも知れない。

以前来た時は島ロッカーがあったけど、今は撤去されている。ロッカーは男女境の鏡の下に2段、外壁側に4段ある。錠はSakuraVのシリンダ式のもの。入口脇に脱衣籠も積まれていて、半分くらいの人は籠を使っている。その他に、入口脇のほんの小さな庭、旧式の冷蔵庫、ソファ、Yamatoのアナログ体重計があるだけ。銭湯の原風景がある。

浴室は、幅2.25間、奥行4間位。天井は2段型でプラ板が張られている。
島カランは1列で、カラン配置は、センタから7・5・5・6(+立ちシャワー1)。
入るとすぐ、湯が出なくなったらしく、男湯からも女湯からも人が出てきて、「おばちゃんに言って」と番台の女の子に言っている。これも、最終日を迎えることになった遠因なのかな。

カランは日の丸扇の刻印がある旧型で丸みを帯びたもの。カラン周りのタイル使いは、モスグリーンと白で古めかしい。床のタイルはブルーと白の風車模様の平滑なもの。

浴槽は深浅2槽。やや奥行きがあるのが特徴的。浅槽は1穴ジェットが2つというシンプルさ。温度は43度くらいと熱め。深槽は硝子囲いがしてあるけど、扉はオープンだし、今は熱気浴としては機能していないようだ。焚き出し口はラジウム石浴泉の効能書きがある。温度は43.5度くらい。

熱めの湯は相変わらず。数年前の夏に来たときも、連れは湯船に入れず、カランでお湯を浴びただけだった。その時は気が付かなかったけど、同湯の湯は井戸水のようだ。湯船の内側にミネラルが付着して黒くなっている。

ビジュアルは男女境にあるモザイクタイル絵。真中に小さな富士山があり、その下に白糸の滝がワイドに描かれている。絵柄が白糸の滝というのも珍しいけど、幅4間の白糸の滝というのも凄い。湯船の奥壁はコミカ風呂的な厚手の模様タイルが貼られているだけでペンキ絵はない。

上がりは、ビールを所望したら品切れだったのでデカビタ。最後だからと、子供を連れてくる客あり、遠方から来る客ありと、それなりに最後の日という感じだった。そうこうしているうちに、女将は酒屋でビールを仕入れてきた。小生を地元の誰かと間違えているようだった。ビールの値段を聞くと「もう、それを飲んだんだから、仕舞いにしておきなさい」と人懐っこい笑顔で諌められた。

記憶に残る笑顔の爺さんには会えなかったのが気にかかった。女将に伺うことは憚られたが、そこら辺が廃業の事情なのかも知れない。

女将に諌められたものの、近くのコンビニでビールとフライドチキンを買って、すぐ近くの鶴見川河口に出る。2年前に廃業した浜の湯の建物は今夏に取り壊されたらしく、駐車場になっていた。

ここは、堤防もなく波が押し寄せている。しばらく、ビールを飲みながら土嚢に腰をかけていた。生麦の銭湯密集地帯も休廃業が続いている。





小学生の姉妹?が番台を努めていた。


鈴栄堂のタイル絵


(出所)横浜市浴場組合HPより。


同湯の前は旧東海道。裏手はすぐ鶴見川河口。