差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2005年8月26日金曜日 23:23
宛先: 銭湯ML
件名: 滝の湯(福井県三国町滝谷)

ナカムラです。

今日(8/22)は、「滝の湯(福井県三国町滝谷)」に行ってきました。

三国港は今では漁港になってしまってるけど、かつては北前船の寄港地で、日本海沿岸での最大級の港町だった。
廻船問屋の土蔵が並び、商家や遊郭が軒を連ねていた。
そんな遊廓の痕跡を追うのと、「港町にはいい銭湯がある」法則に従いやってきた。

福井県公衆浴場業生活衛生同業組合のHPでは、三国町の銭湯は3つ。
浴室が石敷きと思しき「武昌湯」を目指してきたけど、目指す番地には駐車場と真新しい住宅になっていた。地元民の話では、2年ほど前に廃業して、今の建物が建ったのは1年前とのこと。10年前に500円で入れる「三国温泉ゆあぽ〜と(三国町宿)」ができたのと、近年下水道が敷設された際に風呂を造った家が多いらしく風呂屋は駄目になったと。

駅前近くの「宝湯(三国町北本町)」はモルタル造の外観的には特徴のない銭湯だった。
まぁ、外観だけじゃ判らないところに、銭湯の奥深さがあるが・・・。

松ケ下町、明神町とかつて遊廓だった地を回り、最も三国港と出村遊廓(現明神町)に近い「滝の湯」に入る。
三国港駅からの方が近く0.5キロほど。途中、煉瓦を螺旋状に積み上げる「ねじりまんぽ」という珍しい技法の「めがね橋(国指定登録有形文化財)」という跨線橋を渡って行く。

さて「滝の湯」。大正10年創業。銀色の金属パイプの煙突からステーが延びている。平屋モルタル造の、なんとはない外観。昭和40年代に現在の建物に改築されている。

入口前には波板で目隠しが設置されている。入口には薄手のカーテンがひらひらしているだけのおおらかな開放度。
入ると半間もないコンクリのたたきがあり、右手に番台、左手に鶴亀錠の下足箱。
外は雨。傘立てなんてものはないけど、入口方の壁に傘縦の錠が直接ネジ止めされている。初めて見る施工方法だ。

シャツにステテコのオヤジが居たが、客に見えたので、女湯に向かって「すいませ〜ん」というと、くだんのステテコ親爺が「すいません」と近づいてきた。
福井県の料金は350円。枯れているが、いい雰囲気の親爺だ。

脱衣所の広さは、幅2間、たたきの部分を入れて奥行3間といったところ。天井高は1間半でクロス張り。天井扇が回っている。
壁は木目調の新建材。全体的に昭和中期的な雰囲気になっている。

緩衝地帯とは呼べないかも知れないけど、幅半間ほどのタイル張りのスペースがあって、横置きにタイル張りの流しがあり、浴室側の壁は豆タイル張りになっている。この辺りの構造は名古屋風になっている(大阪の風呂は知らない・・・)。

脱衣籠が主力なのかも知れないけど、外壁側に扉が白・緑・赤の3種類のロッカーがある。錠は折鶴。
その他、懐かしい木製の身長計、Yamatoのアナログ体重計。ぶら下がり健康器が並んでいる。

そして、壁に山口百恵と外国人女性ヌードの古いポスターが貼られている。
小学3年の小生が初めて買ったドーナツ盤が山口百恵の「ひと夏の経験(昭和47年)」だった。「青い性シリーズ」、歌詞の意味も分からず買ったけど、その頃のポスターかも知れない。これらのポスターはこの建物が建てられた時からここにあるのか・・・。

浴室は、幅2間、奥行3間。四角錘の天井に横向きに長方形の湯気抜きがある。
カランは外壁側に赤・青のレバー式のものが7。奥壁に1。タイル類は新しいものに置き換えられて、昭和すら回想できない新しさになっている。

浴槽は、主浴槽がステンレスパイプで仕切られ、座ジェット×2と素の湯面。座ジェットは背中2点と足裏2点の計4点。底がバイブラになっているという初めて遭遇する組み合わせ。温度は42度くらい。サブの浴槽は浅いバイブラで42度弱。

月曜日の17:00から17:30に滞在。
相客は85のおじいさん。沖縄戦での生き残りで、脇腹には艦砲射撃での、左腕には機銃射撃での銃創があった。
戦争での傷を見せられたのは、とても久し振りの感じがする。やはり戦争はいやだし、怖い。

めがね橋からは、500円で入れる三国温泉ゆあぽーとが見える。
生活銭湯派もそっちへ流れるだろう。
創業85年の同湯だけど。100年を迎えるのは難しいかも知れない。

同湯の浴室には、平仮名で「たきのゆ」と書かれた風呂用の玩具が、桶一杯に置かれていた。
初めで遭遇する光景だし、子供なんか多くないはずの銭湯。何か胸が詰まるものがあった。










子供が来る銭湯なのか・・・。
そうは見えないだけに、なんか感慨があった。











眼鏡橋〔国指定登録有形文化財〕/1913(大正2)年旧鉄道院建設
煉瓦を螺旋上に積み上げる「ねじりまんぽ」という技法が使われている。

ちなみに、「まんぽ」とは、この地方のトンネルの方言。
京都蹴上にある琵琶湖疎水のねじりまんぽが有名。



1913年に国鉄の三国港荷取扱所として開設。
1944年に国鉄も撤退している。
船から鉄道に輸送が移り、そして港町三国自体が衰退して行った。