差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2004年10月10日日曜日 17:41
宛先: 銭湯ML
件名: 登喜和湯(大田区下丸子)

ナカムラです。

今日(10/8)は、「登喜和湯(大田区下丸子)」に行ってきました。
武蔵新田(むさしにった)駅から、0.5キロ、10分弱です。

武蔵新田は、かつての城南唯一のカフェー街。今もその建物が残っている。
台風の影響で、雨足が強い中、駅から近い食品スーパーマルエツ裏の路地へ。

かつてのカフェーは、第一クラブ、第二クラブ、第三クラブ称した大型アパート3棟の約100室。
州崎遊郭の流れをくむ経営者らによって、主に21、2歳の若い娘で営業されていたらしい。

現在は、タイルや鉄平石を張った意匠にカフェ−調の特徴はあるものの、それと言われなければ、恐らく普通のアパートにしか見えないようなモルタルの建物だった。
金曜日の21:15。いずれの建物に電灯が点っていなかったのが不思議だった。
しかし、会社帰り、台風の雨の中、それも夜、こんなものを見ているのは酔狂に過ぎる嫌いはあるなぁ・・・。

さて、登喜和湯へ進路変更。
途中に、「森ノ湯(大田区矢口)」を通過、商店街もレトロ調の看板の店があっていい感じだった。
下丸子は、かつて小劇場の演劇にハマっていた時、「下丸子演劇フエスタ」というのがあって何度も何度も足を運んだ地。
思い出に浸りながら・・・、スーツの袖とズボンの裾は、雨えでぐっしょり・・・。

同湯は二車線道路に面している。
煙突が無い・・・。重油焚きなのかな。

切妻屋根の黒瓦の脱衣所棟に、くむり破風の黒瓦の入口棟。
暖簾の上に「登喜和湯」という行灯型の看板がある。

入口の左右に「マリモ」いう少し変った店名の中華屋と「松島食堂」という大衆食堂を従えている。
両方とも9月末でで閉店した旨の貼り紙が雨に濡れていた。
松島食堂の方は、脱衣所棟と一体の建物になっている。

エントランスの天井は平格天井。下足箱は松竹錠。
正面に諸事情により明後日の10月10日に閉店する旨の貼り紙がある。
引渡しぎりぎりまでの営業ということなんだろう。恐らく、立地からして、マンションかな。

女将が自動ドアの向こうを行ったり来たりしているので、そのたびに自動ドアが開閉する。
雨漏りの対応で忙しいらしい。

ドアを入るとフロント。
脱衣所を縦に3つに仕切り、真中に湿式サウナとフロントスペースを割いている。
元番台のあったスペースのフロントに女将が座っている。
昔は巨大が額が掛かっていた跡、上には額をかける古いフックだけがある。

脱衣所の天井は、平格天井(7×14)。
天板が木目を印刷した昭和中期的な新建材が張られているので趣きは半減している。
ロッカーは、フロントスペースとの境の壁と入口方向の壁に松竹ロータリー錠の茶色のロッカーがある。

床にはケロリン桶5つとバケツ1個。
天井から雨がポタポタ。設備も当然ながら老朽化している模様。
雨漏りの雫がはねるからとタオルが敷いてある。

その他、HOKUTOWのアナログ体重計、ソファー、健康器具などがある。

外壁側はすべて木枠のガラス戸になっている。
外に縁側があって池。
水が出ていないけど滝、石灯籠、植栽の手入れも行き届いたいい庭がある。

何故か先代の山田某の胸像がある。
何かの会に属していて、有志が作ってくれたものらしい。

浴室は幅3間、奥行4間。
天井は2段型で、高い方の天井が平らで広い体育館様式。

島カランは2列で、カラン数は5・5・5・5・5・6。
日の丸扇の茶色の取っ手、すべてのカランにシャワーがある。

浴槽は、男女境の方から、円形風呂、ジェット、薬湯の3槽。
ジェットは2穴2段の4穴。あまり見ない配列だった。

ビジュアルは、男女境が、既製品かな、帆船の絵のタイル。
奥壁は、タイル絵というよりも、彫刻的な茶色のテラコッタが張られている。
それ以外、壁のタイルはブルーで統一されている。

無料のスチームサウナがある。温度は50度。
相客は数人いるけど、サウナに入る人はいない。
金曜日の夜につき、サウナで寝転んでいた。
幸せな時間。
しかし、スチームサウナの臭いは少し苦手。

廃業2日前だけど、特段、何かを感じることはなかった。
いつものように淡々と時間が流れている感じだった。