差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2004年7月24日土曜日 10:23
宛先: 銭湯ML
件名: 梅の湯(横浜市磯子区)

ナカムラです。

今日(7/19)は、「梅の湯(横浜市磯子区)」に行ってきました。
新杉田駅から、0.3キロ、5分くらいです。

経営者は3回変っているらしく、古いことはよく判らなかったけど、創業は明治35年、現在の建物は大正初期のものらしい。

国道16号線という幹線道路に面している。
現在は、埋め立てられて近くに海の気配はないけど、恐らくこの銭湯は海辺の銭湯だったはず。
両サイドは同湯よりも圧倒的に大きなマンションになっている。
少し、かわいそうで、でもどこか滑稽な佇まい。

入口はむくり破風の黒瓦。
脱衣所棟も黒瓦で、2つ目のむくり破風が付いている。
その漆喰に「梅の湯」と墨書されている。

双方の破風の鬼瓦に梅鉢紋が仕組まれている。
細いけれど、背の高い掛かり松もある。
壁面がカラートタンなのは残念だけど、なかなかな面構えではある。

暖簾を潜ると、小さなエントランスに「冨士錠」が付いた下足箱が正面と左右に整然と並んでいる。
現在使用されている傘立ては「松竹錠」。
もうひとつ、入り口脇の物置に使われていない古い円形の傘立てがあって、その錠には「冨士錠」と同じ意匠があり、さらに「冨士見錠製作所(横浜市鶴見区市場町XXXX)」と書かれた黒い楕円形のプレートが付いていた。

あの「冨士錠」を造っていた会社なのだろう。
しかし、脱衣所ロッカーの錠には「FUJI TOKYO」とあり、横浜市鶴見区と符合しない。???

「冨士錠」や「末広錠」といった、地場横浜の錠前に惹かれ、こだわる小生・・・。

脱衣所の広さは幅2間半、奥行3間。
番台は四角い板張りの簡素なもの。高さも低い。(女湯には脱衣カゴが10個ほど積まれているのが眼に入る・・・。)
天井は押し縁天井だけど、木の桟と、それに押さえられている天井板が民家のものよりも大きく無骨だ。
モスグリーンのペンキ塗りというのも、いかにも漁師町の銭湯だったという雰囲気がある。

ロッカーは島ロッカーが1つと、外壁側にもロッカー。
錠は、「FUJI」「TOKYO」「松竹」と改修の履歴を表していて、バラエティに富んでいる。

島ロッカーに、古い「FUJI」錠が付いているのは初めての遭遇かも知れない。
「FUJI」錠が活躍していた時代は脱衣籠が主力であり、島ロッカーに「FUJI」錠?・・・。

その他、寺岡式の大きなアナログ体重計、冷蔵庫、洗濯機2台がある。
男女境は、かなり年季の入った、やはり無骨な材で作られている。

浴室は、幅2間半、奥行3間半。天井は2段型。
島カランは1つでプレーンなもの。
カラン数は、センターから7・6・6(うち1つ欠損)・5(+立ちシャワー1)。
外壁側の一部が、例によって30センチほど張り出していて、同湯では立ちシャワースペースではなくカラン3つが割り振られている。

カランは日の丸扇の刻印のある旧型。
何故か温泉マークがある赤・青の取っ手が焦げたように黒くなっているものが多い。

湯桶も赤いラインが走った旧型の白ケロリン桶。
小生が幼少期に使っていた懐かしいもの。
ケロリン桶は50年以上の耐久性があるといわれているけど、この白ケロリンも40年に近く現役なんだろうなぁ。

床のタイルもクリーム色で波型に切ったタイルを組んだもの。
良く判らないけど、昭和30年代の銭湯で多く見かけるような気がする。
外壁側のカランには洗い湯を流す溝が切られていない。古い構造。

浴槽は深浅2槽。
深槽は床から泡が立ち上るもの。浅槽は2穴ジェットが2機付いているもの。
温度も普通だし、特段の特徴は感じなかった。

ビジュアルは、奥壁に早川師の渓谷の図。
板に直接描かれていていいけど、少し草臥れている。女湯は急峻な峰が描かれていて、富士山ではなかった。
その下に4枚ものの金魚のタイル絵。
しかし、改修で金魚の頭の部分に水栓が付けられ欠落している。少々、かわいそうな図。
男女境には既成品のモザイクタイル絵。湖、水鳥、洋館といった図。

客は入れ替わり立ちかわり入っている。
小さな女の子を連れた父親も。
でも、女湯に入ろうとしてたから、小生と同じくイチゲンの客らしい。

風呂自体はさほど特徴はなかったけど、脱衣所はレトロで漁師町の雰囲気を残す貴重な湯と思った。
「冨士錠」の来歴にも少し近付けたし・・・。

同湯を訪れる前に鎌倉を散歩してたら、「瀧ノ湯(鎌倉市御成町)」の庭木が無くなって、オリジナル暖簾も花王の「銭湯浪漫」に変っていた。
どうしたんだろう・・・。
帰りは、近くの「杉田湯(磯子区中原)」を偵察。
モルタルのファッサードの、表向きはあまり特徴のない銭湯だった。