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2024/03/03 07:54

ナカムラです。

今日(2/22)は「雲翠泉(荒川区東日暮里)」に行ってきました。
三河島駅(常磐線)から0.3キロ、5分くらいです。

今日は日暮里で終日の研修だった。対面の集合研修はコロナ期を挟で4年振り以上だった。若い人たちに混じって、小生は流行りのリスキリングというやつで、幾つかのメニューのひとつだった。終日の研修できっと消耗するだろうと思って帰りに銭湯に寄ろうと計画していた。研修会場は斎藤湯が至近で替えられてから未訪ではあるけど、想いは三河島の戦災非焼失地域の一角に残る戦前築の建物で営業を続ける雲翠泉にあった。

日暮里から繊維街を抜けて1キロ余り。今日は冷たい小雨が降っている。旧同潤会が開発した日暮里共同住宅(昭和13年)を抜け、古くからの細い商店街に面する同湯に辿りつく。かなり疎らにはなったものの辛うじて商店街の面影が残る。同湯の近くに蕎麦屋、米屋、焼肉屋などが営業している。道に店の灯かりがあるとほっとする。

暖簾を潜って12番の下駄箱の雨靴替わりに履いてきたダナーを押し込む。番台に520円を置く。同湯に雇われている女性の方が時折Twitter(X)でコンメトを発信しているけど、この方かな。

同湯の前は時折り通るけど入るのは何年振りだろうか。脱衣所は相変わらず風情を湛えるレトロさがで満ちている。ロッカーも少なめ、張り出した側室があるせいもあって床が広く取られている。タイプは違うけど隣の帝国湯と並んで脱衣所の風情はかなり高いレベルにある。

同湯は古い中京地域の銭湯のように、浴室の中央に深浅に仕切られた小判型の浴槽が浴室の置かれている。関東のように奥壁に接した浴槽だとペンキ絵を眺めるには近すぎるけど、同湯では浴槽の縁に頭を載せ、映画館のスクリーンを眺めるような角度と距離感で早川さんの富士山のペンキ絵を見ることができる。早川さんが亡くなって10年以上が経って残っている作品も少なくなっている。この絵は町田さんが2020年に修復しているようで、早川さんのサインの傍らに町田さんのサインも入っていた。

床のタイルは3センチ角のふっくらとした白タイル。壁には緑色の釉薬で幾何学模様をあしらったマジョリカタイルがアクセントで使われている。男女境には大竹画工所の峯雲の落款がある4幅の絵付けのタイル絵が並んでいる。釜場へ通じる木戸の上部には色ガラス嵌めこんだアーチ型の意匠がしつらえられている。どっちに眼を向けても博物館級の逸品が往時そのままに使われている。

同湯はやや温めの適温だけど、寒い小雨の中を歩いてきたので最初は指先などの感覚がない。銭湯以外では経験できないもので、かなり久し振りだなと思う。17:30くらいに店に入った時には客の入れ替わりで、小生だけでこの贅沢な空間を堪能していた。白湯の主浴槽と実母散の副浴槽と洗い場を往復するうちに、身体の芯まで温まっていく。冬ならではの幸福感だ。

上がりは明治のおいしい牛乳150円。湯上りの牛乳は身体に染み入る。

17:50から18:20に滞在。そうこうするうちに相客がどんどん増えて洗い場は8人ほどになっていた。
同湯並びには尾張屋という間口の狭い蕎麦屋や、山田屋という赤提灯と暖簾を揺らす焼肉屋がいい匂いを漂わせていた。

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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雲翠泉の斜向かいの「尾張屋」。この建物も東京大空襲を免れた戦前の建物で営業されている。







直ぐ傍らには築堤があり常磐線の電車が行き来している。それに向けた角海老のネオンサイン。
住宅地に赤い光芒があるのは異色ではある。


雲翠泉のならびの薬屋だったと思われる建物とネオンサインの裏側。











昭和13年に旧同潤会が不良宅地・住宅の改良事業として、木造2階建ての賃貸住宅を45棟171戸建てたもの。昭和26年に払い下げられている。
屋屋という構造の複雑さからオリジナルの建物が、他の同潤会普通住宅と比べ残っているが、それも徐々に少なくなってきた。
(参考)「同潤会十年史」P256










旧同潤会日暮里共同住宅に隣接する戦前築の長屋。路地を左に曲がると雲翠泉の前に出る。








日暮里せんい街