旧浦町界隈(所沢市有楽町) 2013.05.25.
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所沢は日本で最初に飛行場が開かれた町らしい(現航空公園)。
戦前は陸軍の飛行場で”雄飛”という飛行船が大阪まで飛行した。その飛行船をモチーフにしたのが雄飛焼という餅菓子。
東川を三浦橋で渡った辺りに広がっていた”浦町(現有楽町)”と呼ばれていた遊廓跡。栄えたのは戦前で、赤線として昭和33年まで存続していたようだ。

海老屋小路の三浦橋袂の三好亭跡を含め、3軒ほど往時の遺構を見ることが出来た。また、今でも”盃横町”という遊廓前衛のハモニカ横町が有って、一部には風俗店が混在している。遊所としての流れが今の時代に引き継がれている。
(参考)所沢ふるさと散歩浦町界隈浦町の地図(昭和9年)
銀座通り(江戸道)の1本北側を走っていた目抜き通り。角の建物には「やきとり」「タンメン」の文字が残っていた。
所沢は地味ながら蔵が多く残る蔵の町。
琺瑯の古い電話番号のプレートが打ち付けられていた。
東川に架かる三浦橋の袂。「三好亭」の屋号が残っていた旧妓楼と思しき遊廓時代の遺構。
海老屋横丁の名の起こりとなった旧海老屋豆腐店。江戸時代創業の店だったようだ。
前の通りは、向かいに高層マンションが建つ前は、遊所へのアプローチに相応しい細い通りだった。