矢部の湯(横浜市戸塚区) H17.3.5

横浜市戸塚区の銭湯もここだけになってしまった。
脱衣所は古色蒼然としているし、男女境の4幅のタイル絵も、章仙画が1枚と光山画というあまり見ない落款のタイル絵が3幅ある。
奥壁には早川師のペンキ絵がある。絵柄が「山梨」で、これも、あまり見ない絵柄。



旧国道一号からの導入路。
すぐ先には大踏切があって、大昔、箱根駅伝の戸塚中継所だった。


浴室棟を見上げる。煙突は油井型の煙突。


前の建物が壊されたので脱衣所棟が見渡せるようになっていた。


下足箱の錠はカナリア。手前に松竹錠のもある。





大踏切脇のバーミヤン。


早川師の「山梨」。だいぶくすみが出てきている。


光山画の下田の図。写真では判らないけど、微細なタッチが唸らせる。





浴室
(出所)横浜市浴場組合HPより

戸塚区矢部町(やべちょう)
[昭和14年4月1日設置]

町名の由来
 昭和14年の横浜市編入の際、鎌倉郡戸塚町大字矢部から新設された町です。吉田町、戸塚町、矢部町を合わせて戸塚三ケ町といい、東海道の鎌倉郡戸塚宿でした。明治22年の市町村制施行の際、戸塚町、吉田町と合併して戸塚町大字矢部町となりました。町名は字名を採りました。

鎌倉時代に、この辺に矢作部(やはぎべ)のものが居住していて、矢の製作を業(なりわい)としていたことから「矢部」と呼ぶようになったといいます。

地名研究で「ヤベ」は「谷辺、川辺」を意味するといいます。

中央を横浜新道(国道1号の一般道区間)が通り、東側を東海道本線、横須賀線、東海道貨物線が通っています。

町内に歴史的建造物の伊東病院、平成5年3月に完成した矢部トンネルがあり、地元では来迎寺下トンネルと呼ばれています。

(出所)「横浜の町名」(横浜市市民局)より