差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2006年1月28日土曜日 8:31
宛先: 銭湯ML
件名: 矢向湯(横浜市鶴見区矢向)

ナカムラです。

今日(1/27)は、「矢向湯(横浜市鶴見区矢向)」に行ってきました。
矢向駅(南武線線)から、0.4キロ、6分くらいです。

第一目的地は、鶴見市場の「鶴の湯(鶴見区平安町)」だったけど、電話を架けると「この電話は、現在使われておりません・・・。」とのアナウンスが聞こえる。
週末の仕事帰り。行って、更地だったり、マンションだったりすると滅入るので、目的地を駅から近い温泉銭湯に変更する。

矢向駅から矢向商栄会という商店街のバス通りを進んで、すぐ分かるところにある。
新しくはなさそう。マンションの下駄履き銭湯。紺地のオリジナル暖簾が架り、その上には「天然カルシウム温泉/矢向湯」と大きく書かれている。

暖簾と間隔を開けず自動ドア。しかし、ボタンを押さないと開かないので、頭をぶつけつ奴は出ないか心配になる。ドアの内側は小さな靴脱ぎスペースになっていて、下足箱は、アクリル扉に松竹のアルミ板鍵のもの。数もそんなに多くないから、本当に小さなスペースだ。

再び自動ドアがあって、フロントスペース。さっき、暖簾を潜った小生の姿を見つけた時に、さっと立ち上がり接客の体勢に入った。偶然ではないだろう、銭湯ではなかなか接しない対応だ。

入ると不自然な位置に巨大な柱。1辺が1メートル近くある。古いビルなので大きいのだろう。それと、入口からの導線上にあり、当初の設計からすれば不自然。番台をフロントに改装した銭湯なのだろう。

親爺に400円とサウナ代200円を払うと大小のタオルを渡され、下足のキーを召し上げられる。サウナ客だけのようだ。タオルを不正に持ち帰ることがないようにだけど、どの客から何番の鍵を預かったか、記憶または引き継がれなければならない。サウナ客が少ないからできる原始的なシステムだ。

脱衣所は、元は幅3間、奥行4間のスペースを、男女境側にサウナ室とフロントスペースに充てられ、幅は2間ほどになっている。天井はそこそこ高い。外壁側一面に松竹シリンダ錠のロッカー、新型のマッサージ機、大型のテレビ、デジタル体重計なんかがある。

ロッカーの下段に大型のロッカーが3つあり、そこを使ったけど、懐かしいものがある。ハンガーなんだけど、千歳飴のようなピンク色と白のまだら模様のパイプを曲げて作ったもの。昭和中期的な懐かしいもの。最近はめっきり見なくなった。

浴室は、3間四方とやや小振り。しかし・・・。男女境と奥壁に8個づつのカラン周りを除き、浴室の大部分が浴槽となっている。浴室における浴槽の比率は、間違いなくトップクラスに入るだろう。もちろんマイ・ベストワン。

浴室の真中には主浴槽の温泉槽で41度くらい。黒湯でも川崎近辺のとの粉色の濁り湯でもない。「緑黄褐色」とでも言う湯で、緑がかった独特の色をしている。一部が電気風呂と寝湯になっている。この寝湯が凄い!!。スイッチを入れると、ステンレス製の見るからに頑丈な12個の穴から強烈なジェットが噴出する。小生、体重がかなりあるけど、無重力状態を経験できる。

その他、43度強の高温槽。外壁側一段高い所に、比類なく強烈な1穴ジェットがある。強烈さも比類がないけど、1つは底から上に向かって強力なジェットが噴出される。椅子に座るようなポーズで噴出流に「座る」と、身体が押上げられる。

この浴槽だけが白湯になっている。子供には危険と書いてあるが、確かに身体を飛ばされ、タイルに頭をぶつけるだろう。このジェットは常連にも人気らしく、使っている人が多い。でも、風呂の中で、共用でウォシュレットを使っているようで、イメージ的にはいまいちかな・・・。

カランは日の丸扇の刻印のある砲筒型。シャワーが見たこともないものだ。太いレバーが下に付いているもので、前後・左右、斜め方向にも動き、湯が出る。垂直に下に降ろした時にお湯が止まる構造になっている。

サウナは6人用くらいで、どってことないものだけど、温度が110度と本格的なもので、同湯には源泉水風呂もある。サウナ客もいないので、しばらく横になっていた。行儀は悪いけど、久し振りの週末の寛ぎ。

サウナ室では、有線放送で昭和中期の歌謡曲が流れている。小生の好きな「小樽のひとよ」なんかもかかっていたりする。最近、めっきりカラオケなんか行かないけど、音痴な小生はどうしても逃げられない時、鶴岡雅義と東京ロマンチカの「小樽のひとよ」か、北原ミレイの「石狩挽歌」の小樽シリーズを歌い、その場をシラけさせていた・・・。(懐かしい)

上がりは、キリンとアサヒがあったので、キリンをもらう。240円。行政上は横浜市だけど、立地、銭湯のイメージも男川崎の銭湯という感じ。ビジュアルなんてものもなく、ただただ「機能」だけを提供している。



鶴見区矢向(やこう)六丁目 [昭和43年7月1日設置、住居表示]

町名の由来
昭和43年の住居表示施行に伴い、矢向町他一部から新設された町です。

古くは橘樹郡(たちばなぐん)矢向村といい、明治22年の市町村制施行の際、町田村大字矢向となり、大正12年4月1日に潮田町と改称し、大正14年4月1日に鶴見町へ合併して鶴見町大字矢向となりました。昭和2年の横浜市編入に際して矢向町となりました。

町名は旧村名を採りました。四丁目にある最願寺の宝永7年(1710)銘の鐘に「橘樹郡稲毛庄矢向郷」、『小田原衆所領役帳(おだわらしゅうしょりょうやくちょう)』に「稲毛矢向」の記録があります。地元では、むかし最願寺の祐源(ゆうげん)上人が夜中光明の輝く所を訪ねて行くと光り輝く白衣の観音を見つけ、それを山王権現(現、日枝神社)に祀(まつ)ったことから、「夜光村」と称えたといいます。

その後の伝説で、新田義貞が矢口の渡しの戦いで、日頃念ずる地蔵菩薩の名号を書いた矢を射ると、その矢は川崎の塚越を越えて、この地に飛び、老松に刺さり、それを矢止めの松というようになって、その下に矢止め地蔵を祀ったといいます。それから「夜光」を「矢向」と呼ぶようになったといいます。

新田義貞(?−1338)は鎌倉末から南北朝期の武将で、元弘3年(1333)5月に鶴見の付近で金沢貞将(かねさわさだまさ)(?−1333)の軍を破りました。地名研究で「矢向」とは「川口(川の合流する所)」の意味といいます。

一丁目と二丁目の境を横須賀線が通り、三〜六丁目を南武線が通っています。六丁目に南武線の矢向駅があります。
「横浜の町名」(横浜市市民局)より