山手イタリア山庭園・外交官の家(旧内田邸) H18.4.23

この建物はもともとは1910年(明治43年)に渋谷の南平台に建てられ、内田定槌(さだつち)の私邸として使われていた。
内田定槌は明治から大正にかけての外交官で、内田定槌の孫にあたる宮入氏からの寄贈を受け、横浜市がここへ移築復元した。
移築復元の工事は1995年(平成7年)から1997年(平成9年)にかけて行われ、完成と同時に国の重要文化財の指定を受けている。

設計はジェームズ・マクドナルド・ガーディナー。ガーディナーは1857年、アメリカ、セントルイスに生まれ、1880年(明治13年)にアメリカ聖公会から派遣されて来日。ウィリアムズ主教が開校した立教学校の教師を務めながら学校の設備拡充にも尽力し、校長にも就任している。

建築学の素養のあったガーディナーは1891年(明治24年)には校長職を離れ、建築家としての活動を開始各地の教会をはじめとしてさまざまな建築を手がけている。「外交官の家」は、日光市の日光真光教会や京都市の聖アグネス教会などとともに、ガーディナーの作品の貴重な遺産である。



































「ブラフ18番館」。関東大震災後に外国人住宅として建てられた建物。
戦後はカトリック山手教会の司祭館として使用された、司祭館が新築されるのに伴って、
横浜市が現在地へ移築復元した。