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差出人: Masayuki Nakamura
送信日時: 2015年7月12日日曜日 11:48
宛先: 銭湯ML (sento-freak@freeml.com)
件名: 明田湯(京都市南区東九条明田町)

ナカムラです。

今日(4/12)は、「明田湯(京都市南区東九条明田町)」に行ってきました。京都駅(東海道本線等)から、1.1キロ、12分くらいです。

京都駅前の宿を出て、三十三間堂裏の鍋屋・ウエストサイド33、錦小路・有次、祇園・かさい、三条・力餅などを巡りながら、道すがらの崇神第三浴場、崇神第一浴場、スパッションさくらゆ、錦湯、明治湯跡旧菊水湯長池湯などを見て歩く。

帰京前、1日の疲れを癒す銭湯に選んだのは、東九条明田町の明田湯。最寄り駅は市営地下鉄烏丸線の九条駅だけど、京都駅の新幹線口からも十分に歩くことが出来る。

烏丸通りと平行して残っている、旧烏丸通りと札ノ辻通りの交差点を京都駅寄りにほんの少し入った所。ようやく近くに来て、金属板を張った短くずんぐりとした煙突が視界に入って来る。

同湯は細い旧烏丸通りに面している。駅北側の烏丸通りは行幸通りとして大幅に拡幅され、後に市電も通った。駅の南側は1988年に地下鉄の敷設とともに新しい道路として切られまだ四半世紀ほどしか経っていない。そして、同湯のある本来の烏丸通りが、こんなにも細かったことに驚かされる。

同湯は築80年程度という2階建ての建物。前面の増築部分の奥に、オリジナルと思しき緩い円弧の立体感に乏しい京都風の唐破風が潜んでいる。隣の広い駐車場から眺めると後方にコンクリ造の浴舎が続くのが分かる。

暖簾を潜るとタイル張りの上がりかまち。両側にはおしどり錠の下足箱が向かい合わせに並ぶ。男女湯に通じる硝子の引き戸が障子風の設えになっている。

脱衣所への扉を開ければ新建材張りの番台があって、その周りを女将さんが忙しそうに立ち回っている。相方が2人分の風呂銭を渡すと、緩衝地帯に積んである湯桶をわざわざ持って来て手渡してくれた。女湯の相方に対しても同様の配慮があったようだ。

京都の銭湯では、桶が脱衣所の思わぬ所に置かれていたりする。京都には年に何回かやって来るものの、一見して”おのぼりさん”に見えるんだろう。

脱衣所の広さは、幅2間半、1間の緩衝スペースと1間ほどの増築部分を含め奥行4間半ほど。天井と壁は白いクロス張り。煙草の脂でやや煤けている。

浴室の広さは、幅2間半、奥行3間半。天井は緩い円弧のカマボコ型で真ん中に湯気抜きがある。明るく、清潔な浴室に感銘を受ける。

浴槽は、男女境に浴槽を集中させるケースが多い京都には珍しく、外壁側から男女境にかけてL字型に延びている。島カランは短いものが縦並びに2つで、カラン数はセンターから5・5(3+2)・0・6。床のタイルは濃淡ブルーの角張った胃袋模様。壁にはシンプルな中判の白タイルが使われている。

浴槽のラインナップは、センターから座ジェット、バイブラもある主浴槽部分、デンキ、実母散系のじっこうの薬湯。それに脱衣所方のセンターと外壁のさらに外側に増築されたサウナ室の傍らに1人用の水風呂が2つ有る。

ビジュアルは、無い。

サウナは、4人ほどが入れる温度はややマイルドなもの。北朝鮮から連れてこられたという末裔の爺さんが盛んに一族への差別の歴史を語りかけてくる。本などで読んだこともない、初めて教えられたことも有った。被差別と入れ墨稼業は密接に関わっている。乳児を連れた友達同士の若い衆2組計4人が仲良く入浴していた。大阪の鶴橋、東京の大久保と並ぶ大規模なコリアンの東九条界隈。少しばかり客層は多彩だ。

日曜日の17:20から18:15に滞在。相客は20人弱。爺に連れられた孫、若い衆と乳児。女将さんがそんな乳児にベビーベッドで服を着せるという、今ではほぼ絶滅した光景が女湯では見られたらしい。綺麗好きでなかなかのお人柄の女将さんの輝きが際立っていた、いい銭湯だった。

上がりの一杯は駅までの途中の「魚里ゐ夷(とりいえびす)」という海鮮系居酒屋。1階のカウンターはがらがらだったけど、2階には宴会が入っていたようだ。1時間ですべての料理を出してほしいとお願いすると少し驚いたような顔をしながらも、余裕を持ってきっちりと応えてくれた。なかなか分かってくれるいいシェフだった。

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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