差出人: Masayuki Nakamura
送信日時: 2015年7月12日日曜日 11:44
宛先: 銭湯ML (sento-freak@freeml.com)
件名: 東湯(北九州市八幡東区松尾町)

ナカムラです。

今日(2/16)は、「東湯(北九州市八幡東区松尾町)」に行ってきました。

八幡駅(鹿児島本線)から、4.5キロ、50分くらいです。

八幡駅から同湯のある松尾町の住宅地まで徒歩で歩くのは少し距離がある。かつては、小倉駅と八幡方面を結ぶ西鉄の路面電車が近くの通りを走っていた。今も同じルートを西鉄の1系統のバスが、また、同湯の傍らをその派生系統の43系統が走っている。

八幡は元々の八幡製鉄所(東田地区/スペースワールド他)の町として繁栄を極めた時代がある。当時の駅は現在よりも東田寄りにあった。1970年代から順次戸畑に高炉が移り、それとともに東田の高炉は閉じられた。八幡の町は今はひっそりとした住宅地に変わっている。

そんな八幡を歩き、鹿児島本線の旧線(大蔵線/明治44年廃止)の煉瓦積みの尾倉橋梁の袂にある旧武蔵湯、日の丸湯跡、製鉄所門前の”春の町”の大黒湯、同湯の隣湯の岩美湯と郷愁銭湯の外観を観て歩く。八幡に来る前に寄った小倉の月の湯を含め、大黒湯、岩美湯は何れも”入りたい!”と思わされる、強く惹かれる銭湯だった。

さて、東湯へ。小倉北区と接する八幡東区でも最も東側。製鉄の産業廃棄物の鉱滓を焼き固めた鉱滓煉瓦を塀に使った家が、周辺にいくつも有って、ここが製鉄の街だという”土地の記憶”が残っている。近くには槻田小学校や、半ば廃墟化した槻田市場などがある。

屋号は、八幡の最も東側にあるからか、読み方は”あずまゆ”と呼ぶようだ。後方に細く短いパイプ煙突が見える。目立つ看板が無い代わりに、バス通り側のブロック塀に、女将渾身タッチの”ゆ”という文字がカラーペインテイングされている。これが無ければ、往来の人達はこの地味な木造の建物が銭湯だとは分からないだろう。

大型の木造の建物は、脱衣所部分と浴室部分の屋根がT字型で一体化している。黒瓦葺きの戦前築の地方銭湯にしては希有な大きさと量感がある。しかも、この大きさにして浴舎も重い黒瓦葺きというのは珍しい。

さらに、大型の銭湯なのに特に屋根付のエントランス部というものはなく、歩道から1、2段上がった所に硝子扉があって、暖簾が下がるばかり。実に簡素なファッサード。そして、あまり銭湯らしくない。

ドアを開ければ、何ともレトロな意匠を施した庇が掛かる板張りの番台とコンクリのたたき。電灯の点るイニシエ空間に胸が締め付けられる。

相方が2人分の風呂銭800円を女将さんに手渡す。35年ほど前に大阪から来たという。この銭湯の歴史から見れば意外に古い話ではない。

小生は、雨に塗れた靴を錠のない木製の下足箱に入れる。この下足箱は、隣の槻田小学校がずっと昔の2回前の建て替え時、払い下げられた小学生用の下足箱だという。道理で扉が小さく鍵が無い。

1段上がった脱衣所の広さは3間四方。板張りの天井は2間は優に超える高さがある。男女境や壁は下部が板張りのベージュのペンキ塗り、上部が漆喰になっている。男女境が高い天井まで伸びる男女湯完全分離型の構造。レトロ系銭湯としてはかなり珍しい。そして惚れ惚れする古い板の間。この脱衣所は、恐らく建てられた当時とさほど変わっていないだろう。

ロッカーは外壁側におしどり錠のものが9個ほど。荷物の多い小生はプラスチックの珍しい丸い脱衣籠を二つ拝借する。

その他に、寺岡式の朝日衡機のアナログ体重計、旧型のマッサージ機、現役の1人用の箱型のサウナなどが置かれている。

浴室は入って階段を2段下る。広さは幅2間、奥行4間と大きい。天井は四角錘型の中央に湯気抜きがあるタイプ。床のタイルは正六角形のものがベージュとえんじの2色組み合わされて使われている。

島カランはなく、カラン数は男女境に6機のみ。ざらざらに経年劣化した人造石研ぎ出しの湯桶台があるものの、擦り減っているためか桶が滑り落ちそうになる。

浴槽は円形のセンター浴槽と、奥壁に接して副浴槽が2槽。副浴槽の片方に38度くらいの少量の実母散湯が入っているだけで、もう一方の小石タイルの浴槽は空だった。

円形の主浴槽の縁は、カラン台と同じくベージュの人造石研ぎ出し。循環はされているものの湯温は客が水道水を沸かした熱湯を注ぐことで調整する。実母散湯は驚くほど少量で温いけど、入ってみると濃厚さと透明さが”ただモノではない”と感じるものだった。聞けば、銭湯で使われないような高級品らしい。

昔は奥壁にペンキ絵が有ったというが、だいぶ前から無くなっている。

釜場で女将の釜焚きの実演を見せて貰って戻ると、2人の相客は帰っていて、このイニシエの郷愁空間に小生のみだった。実に贅沢だけど、高齢の女将の釜場での奮闘を見て、この大き過ぎる空間が今となっては非効率だと隣湯の小銭湯・岩美湯を羨む話などを聞いた後だけに、ただただ切なくなる思いだった。

上がりは地場の「菊水飲料鉱泉所(小倉北区白銀1-10-20)」ラムネ110円を頂く。甘過ぎず心に残る美味しいラムネだった。

小倉駅方面のバスが行ってしまったばかり。次の便まで40分もあるという。雨ということもあって女将さんが電話で馴染みのタクシーを呼んでくれた。小倉城を初めて眺める。小倉駅までは5キロほど。

雨降りの月曜日の18:00から19:20に滞在。イニシエ空間に女将が手塩に掛けた清澄かつ柔らかな湯が満たされている。郷愁に咽び泣く。嗚呼、銭湯。銭湯。銭湯。

上がりの一杯は以前から気になっていた魚町のアーケード街にあるカウンター主体の大衆居酒屋「武蔵」へ。メニューは多彩で安い。香春口三萩野駅の月の湯近く、昼食で食べた黄金町の「東洋軒」のラーメンや「揚子江」の豚まんも安くて美味しかった。

大衆のご飯は圧倒的に西日本に軍配が上がると感じているけど、どうなんだろうか。

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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                     くべる角材は女将さんの腕よりも2回りほど太い。




           銭湯である証を示すための女将渾身の”湯”のペインティング。









             先々代の規田小学校の下駄箱。



















         製鉄所の町。釜場の壁の煉瓦はやはり高炉残滓を焼いた粗末な灰色の鉱滓煉瓦だった。



















                               北九州の台所の旦過市場







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