差出人: Masayuki Nakamura <masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp>
送信日時: 2013年8月3日土曜日 13:37
宛先: sento-freak@yahoogroups.jp
件名: 萬歳湯(大阪市大正区平尾)

ナカムラです。

今日(7/14)は、「萬歳湯(大阪市大正区平尾)」に行ってきました。 大正駅(大阪環状線)から、2.8キロ、35分くらいです。

今日は、谷町界隈を散策しながら、朝風呂に銭湯の玉造温泉に入る。そして、一昨年の来阪時、古 い家並みが残っていて気になった谷町界隈を散策。いろは湯、一の湯跡(昨年廃業らしく駐車場& 住宅)と周り、谷町六丁目駅至近のレトロビルの”やままちギャラリー”で始まった「幻の大阪銭 湯展」を観る。小さな展示だけど、廃業銭湯の思い出の絵と大阪市の古い銭湯マップをつなぎ合わ せた一大マップに惹かれた。さらに、空堀商店街、旧小玉湯と周る。

昼は、千日前でお好み焼きを頂き、丸福珈琲で喫茶部。

そして、かなり遠回りなルートで、大阪銭湯の珠玉との誉れ高い、”島”の大正区、平尾にある萬歳 湯に向かう。

南海電車で、なんば駅から岸里玉出駅経由、南海汐見橋線津守駅を目指す。30分間隔で2両の1編 成のみが往復している。市内で最も運転本数の少ない支線らしい。そんなこんなで、乗り継ぎの合 間に岸里玉出駅傍らに油井型の煙突が見えた岸里温泉をチェック。

南海汐見橋線は、西天下茶屋駅、津守駅と、駅鉄の小生にとってかなり惹かれる路線だった。正式 名称は南海の本線にあたる”高野線”。線路にかなり雑草が生えてはいるものの、往時の風格ある線 路が残っている。なんば駅が出来る前のターミナル駅だった、同線起点の汐見橋駅を見られなかっ たのが心残り。昭和30年代の古い沿線路線図が残っているらしい。

ここから、殺伐とした下水処理場や工場地帯を抜け、木津川を渡る大阪市営で無料の「落合下渡船」 で大正区に上陸。沖縄由来の人々が陣を張る土地を潜り抜けながら、萬歳湯を攻略する作戦。

殺伐とした下水処理場や工場地帯は、日本の綿紡績史上燦然と輝く足跡を残した大日本紡績木津川 工場だった所。しかし、津守銀座商店街のシャビーなアーケードと津守神社の玉垣に刻まれた”大 日本紡績木津川工場”にその名残りを見るのみだった。

相方は殺伐系に滅法弱い。しかも大雨の中の作戦。果たして8系統残る1つ、落合下渡船で島へ渡 ることができるか不安になって来た。

これ以上殺伐とした風景はない中、ようやく着いた渡船乗場。当然に待っている客はいなかった。 しかし、この大雨の中でも15分置きで運航している。向こう岸から漁船くらいの船がやって来て、 実に見事な舵捌きで船をドリフトさせながら着岸する。自転車客2人を含め計3人の客と交代で乗 り込んだ。あっという間の船旅。しかし、重い雨空とダークグレーの堤防に囲まれた水都大阪の風 景、強く印象に残るものだった。

さて、上陸地から萬歳湯は近い。近づくに従って、コンクリ煙突が段々と大きくなってくる。

昭和33年築創業の大阪的伝統的銭湯。威圧感を緩和するように”風通し”を設けた頑健な塀の間に、 立方体に近いエントランス部がある。そして、大正湯と同様に上にやはり立方体の増築部が載って いる。

元々は、近くの北恩加島(きたおかじま)で銭湯をやっていた初代が、一族を引き連れてこの地に 移ってきた。現在は三代目と、亡くなられた二代目の妹である、加藤治子似の叔母さんの2人で切 り盛りされている。

暖簾を潜ると広く、左右に日之出マークのあるおしどり錠の下足箱が向かい合わすシンプルなホー ル。正面の番台裏の白タイルに”毎度有り難うございます”と記され棚の上には福助が座っている。 大阪的だ。。。

番台に通じる扉を開けると、大正湯と同様に角が丁寧にアールに処理された木組みの番台。田の字 型の側面も微妙な曲線で構成され、磨き込まれたニス塗りというのも同じだ。

脱衣所の広さは、幅3間、奥行4間。2階が載っているので天井は高さはないものの、どっしりと した折上げ格天井になっている。島ロッカーがない広々とした床は籐敷き。外壁側にサウナ室が食 い込んでいて、脱衣所側に関東とは違って窓が開いている。京都銭湯と同じだ。

ロッカーは外壁側に鶴亀のアルミ板鍵のもの。アナログ体重計は珍しいKamoshita。男女境の鏡に オートバイの”メグロ”の名前があったのには驚かされた。

同湯が開業した時代は、一般には自動車が普及していなかった。そして、やっと手が届くオートバ イメーカーはいくつもあった。小生が小さい頃、実家のガレージには商用のバンと単車が4 台ほど停まっていた。その1台がメグロだったと思う。

入口方に目をやれば、典型的な大阪銭湯の高い塀の内側の小さなスペースに、庭池と濃い緑があっ て驚かされる。東京の銭湯の庭とは明らかに違う美学がある。

広い空間。古いけど清潔。あるべきものがキチンとした姿で残っている。優れた脱衣所だ。

脱衣所と浴室の間にタイル張りの流しが置かれた、幅半間くらいの独立した緩衝地帯。脱衣所側と 浴室側にそれぞれ扉がある。古い仕立て屋の広告看板が残っている。フルオーダーで24,000円。こ こ3,40年間、庶民のスーツの手間賃は上がっていないことになる。。。

浴室は、幅3間、奥行4間。さらに奥に2間四方の次の間的なスペース。天井は四角錘型で中央に 湯気抜き。床は、浴槽の周りの部分は御影石が敷かれ、それ以外の部分には亀甲型の白とブルーの タイルが組み合わされたかたちで張られている。

カランは、男女境に7、奥壁に2、次の間に4。驚くのは湯桶を載せる台がある関西仕様のカランの 前に、”椅子”として御影石の立方体が据えられている。

浴槽は、踏み込み段がある深浅2槽からなる長方形のセンター浴槽。浴槽の縁や踏み込みの段の部 分などに重厚な御影石が使われている。同湯は”石度”が高い。サウナの手前には、やはり踏み込 み段のある水風呂。さらに、半分が浴槽になっている次の間には、バイブラと電気風呂。

湯温は、いずれの浴槽も42度くらい。以前、大阪市当局を訪れた時、水道水をここまで仕上げまし たということで、水道水のペットボトルを頂いた。案外この大阪市水道局の水がいいのかも知れな い。重油で沸かしたお湯の清澄さが強く印象に残った。

同湯は絵付けタイルの宝庫と言っていい銭湯だ。3方向の壁にはそれぞれに絵付けタイル絵が配さ れている。塩酸で磨いてしまったのか、保存状態がいまいちの絵もあるものの往時はさぞかし凄か っただろうと思う。

緑の雷紋のマジョリカタイルを走らせている男女境には、手前から、「浦島太郎」「桃太郎」「鯉の滝 昇り」「桃太郎」のタイル絵。奥壁には”松島”だろうか、そういった半島と海を描いた純日本的風 景。さらに外壁側には、美保の松原からの富士山、海中を泳ぐ魚たちの群の図。外壁の富士山の絵 だけが、アーチ型の幅のある扉を塞いでタイルを張った上に描かれた新しいタイル絵だった。今は、 釜場は浴室後方にあるけど、以前は浴舎の左側にあって、この塞がれた通路で繋がっていた。

410円の風呂銭とは別で、知らずに演歌が流れる有料サウナを使ってしまう。番台から窓越しにサ ウナ室は見通せるので、無銭でのサウナ利用は分かったはずだけど、上がった時、加藤治子似は何 もおっしゃらなかった。

上がってから気が付き、小生が100円を差し出すと”タオルも使っていないのに・・・”と微笑み を返された。改めて張り紙を見ると、バスタオル付で100円。ほとんどタオルの洗濯代なので、申 し訳ないと思ってくれたのかも知れない。

甥っ子の三代目よりも遙かに長く、もう60年以上もこの番台を勤めている。”大阪の優しいお母さ ん”という感じの方だった。

日曜日の19:00から19:50に滞在。厳選に厳選を重ねて遙々やってきた大阪銭湯の至宝。全てにお いて期待通りの素晴らしさだった。付近は地名の付け方からして大阪の開発に貢献した沖縄人の影 響が濃い。明るい時にもっともっと町歩きをしなければ。

上がりの一杯は、バスで大正駅に戻り、沖縄料理の”おもろ”。店の名前とは違ってふてくされた店 員の面白くない店だった。先日、大正区で”てくてく銭湯”を主催した神戸のまっちゃんに”どう しようもなく沖縄”な店を聞いておくべきだった。大阪に来るときはいつも夏。また、涼しくなっ たら来ようかな。。。

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
メイン:masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp  
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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                大阪市営落合下渡船。今も市営の渡船が8か所残っている。いずれも無料。




         木津川。対岸の大正区はこの木津川と尻無川(上流は道頓堀川)と港に挟まれた”島”となっている。




                              南海電鉄汐見橋線・津守駅




                               津守駅の隣の西天下茶屋駅




                  千日前の老舗、丸福珈琲店。こくのある珈琲はまぁまぁだった。
                  相合温泉が廃業しているのを知る。



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