差出人: Masayuki Nakamura <masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp>
送信日時: 2011年8月1日月曜日 22:20
宛先: sento-freak@yahoogroups.jp
件名: 大将軍湯(泉佐野市本町)

ナカムラです。

今日(7/18)は、「大将軍湯(泉佐野市本町)」に行ってきました。 泉佐野駅(南海電鉄)から、0.5キロ、5分くらいです。

6:50東京発の新幹線で新大阪へ。大阪は4年振り。台風の影響で生ぬるい風と降ったり止んだりの 雨の中、淀屋橋や北浜で古いオフィスビル巡り。

いくつも戦前築の古いビルを回ったけど、現役のオフィスビルなので立ち入れないビルが多い。ま た祝日(海の日)なのでエントランスすら開いていない。。。”階段の魔術師”と呼ばれる村野藤吾が 主任ドラフトマンとして若い時期に関わり、期待していた綿業会館(重要文化財)も月曜の定休日 で見学できなかった。

入ることが出来た数少ないビルでは、喫茶店になっている「北浜レトロビルヂング(1912年)」が 喫茶店として良かったのと、小規模な雑貨屋や服飾店が集積している「芝川ビル(1927年)」が面 白かった。

さて、今回の銭湯ツアーで最も期待している泉佐野・大将軍湯へ。難波駅から鉄人28号のような” 顔”を持つ南海電鉄の関西国際空港行の特急ラピートβ号で行く。途中、GPS携帯で銭湯をチェッ クしながら車窓を眺めていると、少なくなったとはいえ、沿線にはかなり銭湯の煙突を見つけるこ とができる。

駅を降りれば泉佐野は夏祭り。隣の岸和田のだんじり祭りも荒っぽいけど、ここ泉佐野の担ぎ手た ちも少々やんちゃな感じの人が多い。どこの地域でもそうだけど、祭りになると何処もヤンキーが 多い。。。

寂れた商店街を抜け、本町の御輿とすれ違うと、そこに大将軍湯があった。屋号はかつての町名が 大将軍町ということから来ている。由来は分からないものの地元では”だいじの湯”とも呼ばれて いる。先代が昭和11年に経営を引き継いでいるが、前の経営者かあるいはその前にこの銭湯を建て た経営者の屋号なのかも知れない。

この建物は道にべたっと面一(つらいち)で建てられている。佐野の建て方ではない。東京の大工 が建てたという人もあるようだ。正確な建築年代は分からないようだけど大正時代の建物と推測さ れている。煙突はパイプ型に置き変わっているものの基の部分は煉瓦積みだ。

黒瓦を載せた塀が浴槽と同様の古い白タイルというのが珍しい。基部には装飾のアクセントとして マジョリカタイルが使われている。そして、塀の中央に古い故に簡素だけど、同湯のシンボルであ る唐破風が載る、小さな小さなエントランスがある。

暖簾をくぐれば、狭い三和土に小さな簀の子。これ以上簡素にはできないエントランスだ。ただ、 狭いながらも左右におしどり錠の下足箱がある。

番台裏の窓は格子で、その下はタイル張り。そして一番目立つところに「金融」とある質屋の広告 がある。泉佐野の町自体、大名に金を貸す豪商が多かったというけど、今でも街金の古い広告が目 立って多い。番台裏の下には小さな一見石碑のようなものが建てられている。文字などは記されて いなかった。

脱衣所に入れば2間四方の空間。相方が女将さんに風呂銭を渡す。大阪の銭湯料金は410円。しか し、同湯の料金は250円だ。呉・倉橋島の西の湯料金が150円から値上がりして200円だったけど、 こちらも全国的に見てかなり安い料金設定と言える。

脱衣所の上には2階が載っているものの低い天井ではない。押縁の天井、中央に天井扇が回ってい る。

番台も壁も木目プリントの新建材に置き替わっているのが残念。そして、古風な天井に円形蛍光管 のシーリングランプというのも意外感がある。

ロッカーは外壁側におしどり錠のもの。棚になっている最下段に、荒く編まれた柳行李が数個。物 入れとして使われている。昔使われていた脱衣籠だろうか。

その他、旧型のマッサージ機や小さな脱衣所にやや不釣り合いに大きい神棚などがある。

浴室への入口はサッシだけど、その両側の一部が石張りになっている。浴室はふんだんな石造りだ けど、その導入部からして石積みになっている。

浴室の広さは、幅2間、奥行3間半。天井は中央に湯気抜きがある四角錐型。石以外の奥壁や男女 境の一部などは白のタイル張り。男女境は天井とともに銀色のペンキが塗られている。元々は女湯 側が多少透けて見えるガラスだったと思われる。

カランは奥壁に2機、男女境の手前側に2機の、計4機のみ。床はもちろんのこと、踏み込み段の ある主浴槽や、入口方外壁側にある上がりに浴びる大振りの水槽も石造りだ。また、カランが取り 付けられている男女境の基部も石造り。これほど”石”の割合が高い銭湯は、岡山西大寺・柳湯以 来かも知れない。

中央に男女境に接するかたちで1間四方の浴槽がある。内部は淡いブルーのタイル張り、そこに水 道水を木片で沸かした清澄なお湯が満たされている。井戸の水が足りなくなって来ている。7割が 水道水で、上がり湯(水)やカランなど全体の3割に井戸水を用いているという。

唯一の先客は湯船に入らず上がって行った。。。足先を入れると火傷必至の温度。軽く48度は超えて いる。女将さんに断って加水。海は遠くなったものの、一応、熱い湯にさっと入る気風の元漁師町。 どの位まで埋めていいものか分からない。46度あたりで止めておいた。結局、次なるご常連が44 度くらいまで埋めてくれて、ようやくお湯を楽しめる温度まで下がった。。。もっとも、隣にタイル 張りのかなり浅い副浴槽があって、そっちは元々43度くらいだった。

やや熱めの湯に浸かって、石組みの水槽から汲み出した水を浴び、浴槽踏み込みの石段の上に座る。 窓が開いているので爽やかな夏風を感じながら暫し瞑想する。さっき釜場で立ち話をした大将は、 釜場と番台を往復しながら、伊達で酔狂なこんな客をニコニコしながら眺めている。

4年降りの再訪で念願叶って入浴することができた。 期待通りの落涙必死の郷愁銭湯。営業は月・水・金・土の週4日、16:00から21:00まで。大将や 女将さんの体調などもあって「こっちの都合でやらしてもらってます」と話されていた。

それにしても庶民文化研究家の町田忍氏とよく似た方だった。。。

上がった後、古い町並みを眺めながら、旧栄湯(えんだの湯)、旧朝日湯(ちょうざの湯)といずれ も戦前からの佐野の銭湯を見て回る。朝日湯の前は紀州につながる古い道。この前は古い看板建築 の商店なども多かったけど、それらの建物が消失して、だいぶ趣が変わってしまっていた。

上がりの一杯は、難波・千日前の「はつせ」でお好み焼きを頂き、村野藤吾が最晩年に設計したシ ェラトン都ホテル大阪に向かう。小生、何を隠そう、村野藤吾マニアでもある。

しかし、ホテルはエントランスホールや宴会場など、主要な箇所は既に大改装されていて、官能的 とも言われ、見る者の美意識を問いただしてくるという村野のオリジナルは無くなっていた。大阪 中心部のホテル。利用度も高く競争も激しいので、内装の更新は致し方ないのだろう。

ただ、端っこに”これぞ村野”という部分の残滓は残っている。閉鎖された外階段としての小さな 螺旋階段、ドアの取っ手、トイレのドアのノブなどに。。。

《前回訪問:2007.07.21.》

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
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落涙ものの石造りで簡素な浴室







泉佐野駅前