差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2006年1月2日月曜日 15:19
宛先: 銭湯ML
件名:

ナカムラです。
今日(12/24)は、「船五湯(倉敷市船倉町)」に行ってきました。

倉敷の倉敷観光の目玉である、大原美術館なんかがある、「美観地区」の直ぐ近くにある。今日はクリスマスイブ。寒さこの上ないけど、夜もお泊りでデートか、若者たちが瀟洒な堀端を散策している。

こっちは、一人で身も心も、ついでに懐も寒い。だからというわけではないけど、一人でボロ銭湯に向かう。どっちが幸せなんだろうと自問自答・・・。

同湯は、大正7年に公衆浴場の許可を得ているが、その前は従業員250人を抱えた「船五商店」の従業員用の浴場で、建物は100年以上経っている。公衆浴場になる前は、傍らの倉敷川の水を汲んで風呂を沸かしていたという、珍しい歴史を持つ。

この船五商店というのは、倉敷で羽振りの良かった船会社らしく、この地では、倉敷紡績に次いでフォードのトラックを導入したりした企業だった。しかし、経営の脇が甘かったのと、海上事故で三井商船の船を沈没させ、その賠償で破産した。残ったのが、同湯だけだったようだ。

同湯は、斬首される罪人を代官所(現アイビースクウェア)から刑場に運んだという、車も通れないような細い路地に面している。脱衣所棟は、背の低い平屋の建物で入口脇の窓に色ガラスが嵌められているのが特徴的。

サッシの戸を開けると、畳1枚分もないコンクリのタタキがあって、番台と反対側に下足棚があるのみ。番台は小振りで、下が空洞になっていて、女湯まで通じている。

脱衣所の広さは、幅3間、奥行2間弱。元々は2つの部屋だったものを一体化したようでもあり、オリジナルの姿を想像しにくかった。外壁側にオール木製ロッカー、柱には「ワーム」のホーロー看板とれレトロなものも並んでいる。男女境の時計は普通のものだけど、以前は船に積んでいた、大きな丸時計が架っていた。

浴室は、幅2間(手前側は3間)、奥行3間。天井には長方形の小さな湯気抜きが開いている。
ここの最大の特徴は、浴室の床、浴槽が御影石で造られているということ。自社の船で、四国から運んだものだ。浴槽は、幅1間、奥行1間弱。踏み込み部分の?ぎ目がタイルで補修されているけど、浴槽の床まで見影石が張られている。渋いながら、とても贅沢な造りになっている。

浴室の壁の下部は白タイルで上部には、緑の紋様の入ったマジョリタイルでアクセントを付けている。その上部と天井は、板張りにペンキが塗ってある。

薪で焚いた湯はやや熱めだけど、やわらかくていいお湯だ。浴槽に差し込まれたパイプから、少しずつ湯が注がれる。循環装置は見当たらなかった。

上がりは、オハヨー乳業のコーヒー牛乳。上がって、しばらくしていると、81歳になる大将が現れた。郷土の歴史に詳しい方で、板の間に腰掛け、倉敷周辺の歴史の話を伺った。19:30くらいに訪れて、仕舞いの21:00までお邪魔する。

同湯の脱衣所にも暖房はない。出る時には、身体がすっかり冷えてしまったけど、何だか楽しかった。遠回りになるけど、遊廓跡の川西町を経由して、一番街の居酒屋で熱燗を飲む。瀬戸内海の酒肴をと、お品書きを眺めると、何と三陸沖尽くし。味は悪くなかったが、求めているコンセプトと少々違った。






手前の建物は、築130年。手前には井戸、奥には仕込みをする大将がいる。

御影石の浴室は感動もの。
右側に1間四方の張り出しがありる。カランはない。


17:00から21:00までの営業。日曜日が定休日。

倉敷で三陸沖尽くし・・・。