差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2006年3月11日土曜日 11:04
宛先: 銭湯ML
件名: 一乃湯(川崎市幸区古川)

ナカムラです。

今日(3/10)は、「一乃湯(川崎市幸区古川)」に行ってきました。
川崎駅から、溝の口駅行の東急バスで「住宅前」で降り、0.4キロくらいです。
最寄駅は鹿島田駅(JR南武線)で、こちらからは0.9キロくらいです。

同湯は昭和43年9月開業。銭湯の最盛期は過ぎていた。ご主人は、「最終列車のデッキに、やっと飛び乗った。」と表現していた。

昭和8年生まれ。新潟県燕三条生まれの8人兄弟。小学校を出て、南加瀬の公営住宅の銭湯(4年、現在面影なし)、越の湯(古市場町、13年)、御幸湯(小向仲町、7年)、杉の湯(塚越町、5年、現芝信用金庫/幸支店)と修行を積み、結果的に、それらの中心にあたる、この古川町で銭湯を開業することになる。

いかもに昭和中期的な簡素なファッサードの銭湯。近くに来ると、コンクリの独立煙突の影が見えて、薪の匂いが香る。入口の左手にコインランドリー、右手にはコインシャワー。銭湯にコインシャワーが併設されているのは初めての遭遇だと思う。

紺地のオリジナル暖簾には、温泉マークに「一乃湯」の文字。硝子ブロック積みの入口棟奥の、脱衣所棟の正面にも同じく「一乃湯」というプレートが貼られている。
今日は、雨降り。持参した傘を正面の付差す式の傘入れ(松竹錠)に収納する。下足箱の錠は旧型の松竹錠。

戸を開けると前面がカーブした、新建材の番台。女湯の客との世話話の相手をしている女将に400円を払う。

脱衣所の広さは3間四方。天井高さは2間と、煤けてはいるけど、広い空間がある。
壁は、ねずみ色の木目調の新建材。天井も格天井など華麗なものではなく、簡素な石膏ボート。何れも、長い時間を経てくすんでいる。築37年、脱衣所も浴室もリニューアルはなされていない。ここには、濃厚な「昭和」がある。

ロッカーは、外壁側に松竹板鍵のものが並んでいる。床は籐敷き。その上で、脱衣籠も現役で使われている。島ロッカーがないのせいで、原風景と感じるのかも知れない。
その他、真中に古いゲーム機、新型マッサージ機、フットマッサージ機、Yamatoのアナログ体重計がある。

浴室へは、太い木枠のガラス戸を開けて入る。重いと思いきや、ソロバンがスライドするような、金属製のコロが仕組んであって、スムーズに開く。この構造の扉は、見たことがあるけど、とても久し振りのような気がする。懐かしいと感じる。

浴室の広さは、幅3間弱で奥行4間。天井は平面で、センターの最高部が2間半程度で、外壁側は2間で、ペンキ塗り。男女境の上に半間四方ほどの小さな湯気抜きが2つある。建築費を抑えるため、脱衣所と浴室部を一体の建物として設計されている。でもこの湯気抜きはちょっと珍しい・・・。

浴室に足を踏み入れた瞬間から、懐かしい、銭湯の原風景が広がっている。奥壁には、中島師による入り江を描いたペンキ絵と、その下にはモザイクタイル絵。男女境にも濃い色使いの湖で遊ぶあひるを描いたモザイクタイル絵。さらにシビレるのは、床のモスグリーンの小石型タイルで、その中に、蟹、二枚貝、巻貝が散りばめられている。

京都の白川温泉の浴槽で見て以来の久し振りの遭遇だ。かつての越の湯も床はこれだった。湯桶も白ケロリンというレアなもの。

1列の島カランも古風なもの。日の丸扇の刻印のある古いカランは相当に草臥れているけど、この空間には相応しい。入口の両サイドに置かれている観葉植物もいい。

浴槽は、3槽。センター側の深槽がバイブラで42度くらい。センターの主浴槽は、赤外線ランプと2穴ジェットが2つずつあるけど、稼動していない。真中にタイル張りの古風な炊き出し口があるけど、使われてはいないようだ。

外壁側には1人しか入れないような薬湯槽。実母散の看板が掛かってはいるけど、薄茶色をしているものの実母散の香りはしない、あまり有り難味を感じないもの。浴槽が小さいせいですぐ高温になるようだ。温度計は50度を指している。50度はないだろうけど、強烈に熱い。当然、少ない相客も誰ひとり入らない・・・。

女湯の客は一足先に途切れた。九段会館専属の尺八奏者でもあるご主人に見せていただく。同湯は、富士山のペンキ絵がある女湯の方が1間ほど広いようだ。島カランも2つ。センターのシャワーがハンドシャワーというのが男湯とは異なっている。女湯はミドリ椅子ではなく、マットを使うのか、それらが並んでいる。そして、3脚の白ケロリンの洗髪用の湯桶が現役のようだ。

照明を落とした広い空間に浮ぶ、中島師の同湯の富士山はなかなか秀逸で、印象に残る光景だ。

上がりはスーパードライ260円。21:15〜22:20に滞在。

仕舞いの時刻は決まっていないようだ。今日の最後の入浴者は、主人のお孫さん。最後の客は小生で、主人は話しながら浴室、脱衣所と電気を落とし、22:20に仕舞った。
最後に、新潟を出た、他の3人姉弟のことを伺った。代替わりはあるけど、3方とも、越の湯、御幸湯、都湯(大田区)の関係者である。

帰路は、携帯のナビゲーションに頼り過ぎて失敗。新川崎駅(JR横須賀線)まで、1.5キロほど歩く予定だったけど、設定の仕方が悪かったのか、暗い夜道を反対方向に1.5キロも歩いてしまう。23:00。不案内な川崎の奥地で心細くなったのと、戻る元気もなくなったので、タクシーで川崎駅に出て、帰館した。町歩きの年数だけは長けているけど、方向感覚のなさには情けなくなる。

川崎市浴場組合連合会のHP 〜ご主人の決意が恰好いい。


時計の時刻は21:55。この時間で女湯の客は終わっている。


島ロッカーの上には赤ちゃん用のスペース。布団が2組見える。


男女境に隣座する招き猫。


ガラス絵がある入口上部。入口の戸も古風だ。
体の調子により、薪と重油を半々くらいで、沸かしている。

ベンチの後ろはコインシャワーの設備。
冷蔵庫の後ろがトイレになっているけど、身をよじらないと入れない。


古川町

古くは古川村という1村であった。成立した時期は定かではないが、江戸期には既に確認されている。昔多摩川が流れていて、その後流域が変わり洲となった地を開墾したため、この地を古川とよんだといわれている。
明治22年(1889)の御幸村誕生の際に大字古川となり、昭和26年(1951)の耕地整理によりこの町名となった。