差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2003年9月25日木曜日 23:30
宛先: 銭湯ML
件名: [sento-freak:04393] 井川湯(横浜市神奈川区)

ナカムラです。

今日(9/25)は、子安の井川湯に行ってきました。
京急子安駅から5分程度。
小生はJRの新子安駅から行き、10分程度です。
第一京浜の脇には古い建物がちらほら。しばらくすると鉄管型の煙突が闇に浮かんできます。

埋め立てが進んでしまっていますが、浜通りという道があったり、ここら辺は海に面した漁師町だったようです。
井川湯はそんな路地裏にありました。

入口のすぐ横には手押し式ポンプの井戸。
「井戸仲間」と書いてある桶があったり、地域で維持されている井戸のようです。
周辺にはいくつか井戸が点在しています。

牛乳石鹸の暖簾。正面には海のタイル絵。
土間は小さく、下足箱は入口を背にして靴を入れるけど、背中が入口のサッシュの戸に触れるような間隔しかない。
錠は「富士錠」。神奈川の古い銭湯で、最近、連続してお目にかかっているもの。

アルミサッシの戸を開けると番台。結構高い。新建材で造られていて、趣はないかな。
脱衣所は8畳間くらい。床は張り替えられて、新しい板の間。
そこに脱衣カゴが11個と壁面に15個のロッカーがある。錠は「FUJI」その下に「TOKYO」とある。
下足箱の「富士錠」と関係があるのかな・・・。

入口の上には脱衣所で撮影されたと思しき、子供の色褪せた巨大な写真。何だろう・・・。

浴室は脱衣所と同じく小型。島カランはなく、センターと壁側に6・6のカラン設置。
シャワーは壁側のみ。
浴槽は左側が素の白湯。右が床から泡がブクブク。
センターの仕切りは低く、180センチくらいしかない。天井は東京2段型だけど、小さいこともあり、荒削りな印象・・・。

女湯を含め、5本の蛍光管で照らされている。
(21:15)客が小生しか居ないこともあるけど、落ち着く・・・。贅沢な空間だ。

センターにはタイル絵が3枚。鈴栄堂の福二画が2枚と章仙画が1枚。
正面はペンキ絵とその下に章仙の金魚・鯉・アヒルのタイル絵。
ペンキ絵は中島師のものかな、そんなに古くはない。
特徴は、小型の銭湯だからか、絵が正面だけでなく、直角に折れている壁側にも描かれている。

釜場へ通じる戸がレトロだし、そこへ通じる通路のまわりがなんともいい雰囲気を醸し出している。

そう、ここの椅子がヒノキでできた立派なもの。オフ会で町田さんも言及されていた。
小生も初めて見たな・・・。
桶は大口のパチンコ永楽と書かれているもの。姿形はケロリン桶と同様。

飲み物は、小さな冷蔵庫にギッシリ詰まっていた。小生は、CCレモンをゴクリ、ゴクリ・・・。

創業は明治期で今は四代目。現在の建物は昭和30年代のものとのこと。
漁師は浜に上がるとドッと一斉にやってきて、水が無くなることもしばしば。そんな時は井戸からバケツリレーなんてこともあったらしい。
同湯の客は時間が早く、客が居ないと10時前にでもシャッターを下ろすとのこと。

この前のオフ会で教えてもらった銭湯に早速行ってきました。
小さな銭湯だけど、なんだかゆったりしていて、とても居心地がいいお風呂でした。

帰りに偵察した子安駅前の「人参湯」
9月末で廃業。あと、5日しかないじゃないか・・・。
明日も子安かな・・・。




(出所)横浜市浴場組合HPより。
神奈川区子安通(こやすどおり) [昭和11年11月1日設置]

町名の由来
 昭和11年の町界町名地番整理事業の施行に伴い、国道筋の子安町の字海道通、七島および鶴見区生麦字神明前の一部から新設された町です。古くは橘樹郡(たちばなぐん)東子安村、西子安村の2村で、明治22年の市町村制施行の際、橘樹郡(たちばなぐん)子安村大字子安となり、明治44年の横浜市編入の際、子安町となりました。町名は東海道に位置することから「子安通」と名付けられました。町に1丁目と3丁目の字区域があります。北西側を東海道本線、横須賀線、京浜東北線、京急本線が通り、1丁目に子安駅、2丁目に新子安駅、3丁目に京急新子安駅があります。中央を第一京浜(国道15号)が通っています。子安駅付近には、浦島太郎が足を洗ったと伝えられる「足洗川(あしあらいがわ)の碑」があります。
(出所)「横浜の町名」(横浜市市民局)より