差出人: Masayuki Nakamura <masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp>
送信日時: 2024年1月6日土曜日 19:49
宛先: 'sento-freaks@googlegroups.com'
件名: 君の湯(文京区大塚)

ナカムラです。

今日(1/4)は「君の湯(文京区大塚)」に行ってきました。
新大塚駅(東京メトロ丸の内線)から0.4キロ、5分くらいです。

同湯の住所は古くは大塚坂下町で、台地の上を通る丸の内線の新大塚駅から水窪川(暗渠)が流れる谷に向かって急坂や階段になっている。この界隈は戦災を免れているので、平成になっても大正湯などの戦前築のボロ銭湯が残っていた。現在でも辛うじて出し桁造りの家などを見ることができるし、再建築不可のエリアなのだろう、細い路地の奥に古い長屋が今も残っている。

同湯が面している坂下通りは、明治時代の終わりに市ヶ谷の監獄が池袋(巣鴨監獄→現サンシャインシティ)に移ってきた時に、巣鴨監獄の正門と護国寺を結ぶ通りとして開かれている。

昭和4年の浴場名鑑を見ると文京区(旧本郷区、旧小石川区)には124軒もの銭湯があった。おおよそ300メートル四方に1軒。東京大学、御茶ノ水女子大学、陸軍の砲兵工廠&後楽園などを考えると住宅地にはさらに稠密に銭湯があったことになる。旧大塚坂下町だった大塚5丁目と6丁目だけでも4軒の銭湯があった。それが、近年歌舞伎湯、富士見湯と廃業が続き、東京では稀な組合非加盟の同湯を含めても、文京区全体で銭湯が5軒にまでに減っている。こんなにも劇的に減少した商売ってあるだろうか。

相変わらず前置きが長くなったけど、さて君の湯へ。
店に入る前に表で写真を撮っていると奥から出てゴミを拾っていた大将に声を掛けられた。組合に入っていないので同湯は520円という統一料金ではない。大将に料金を訪ねると470円で他の銭湯の520円より安くやっていること、さらにこの建物が昭和36年に建てられたことを少し誇らしげに教えてくれた。

暖簾は紺地白抜きで屋号が染め抜かれている。その上に正月飾りが掛けられている。松竹錠の62番の下足箱にスニーカーを入れ自動ドアを通る。折り上げ格天井の脱衣所を3分割したフロント。小銭がないことを詫びながら5千円札を差し出すと、女将さんから穏やかな声で”ごゆっくりしていって下さい”とお声がけいただく。

格天井の脱衣所、中島さんの富士山のペンキ絵、男女境にはモザイクタイル絵、そして、熱めの白湯と実母散の薬湯がある。いつ来ても掃除が行き届いているのが良い。車道にまで出て来てゴミを拾う大将の几帳面さが感じられる店内だ。組合を脱退した理由は、同湯の常連客からして、求められた一律の値上げが難しいと判断したことが理由だった。50円安いけど、どこを見ても手抜かりはない。

今日は風が強かったけど、戦災非焼失地域である高輪の坂道や階段を上り下りして写真を撮ってきた。少々身体を使ってきたので熱い湯は特に心地良かった。そして、1年の最初の銭湯としてしかるべき銭湯に入りたかった。

上がりはロビーで明治のおいしい牛乳140円。17:00から17:45に滞在。まだ正月休みの人も多いだろうか。入りはなで相客は9人ほど、延べで10人あまり。入った時以外は疎らという客の入りだった。

君の湯の裏に蛇行する水窪川の流路跡がはっきりと見て取れる。もう10年以上前になるけど、同湯裏の賃貸物件を内見しにきたことがある。川(跡)を渡った所にある崖にへばりつくような純和風の戸建て物件で、再建築不可の物件だからだろう現在もそのままに残っている。崖の上は柔道の嘉納治五郎邸と旧講道館道場を移築した大塚坂下町の講道館道場(開運坂道場、明治40年〜昭和8年)が有った。現在は大塚坂下町公園になっている。

年初から能登の地震で珠洲市や輪島市などで甚大な被害が出ていたり、航空事故が起こったりと、不穏なスタートになっている。珠洲市や輪島市は印象深い銭湯が多かった。無傷では済んでいないだろう。なんとか乗り越えてほしい。

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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新大塚駅を出ると、水窪川が刻んだ谷(坂下通り)に向かって階段や坂が連なっている。



古いお宅。玄関は2階にあって、1階はその下にある。







お菓子屋kさんか、食料品店だったと思われる急坂にある店舗跡。







斜面に建っているため、下から見ると3階建ての建物になっている。
向かいの豊荘も見る方向により2階あるいは3階建ての建物に見える。



上の写真の向かいに建つ豊荘。これも実質3階建ての建物だ。
偏見を交えて言うと豊荘や幸荘は、豊かさや幸せを渇仰している場所に建っている。



豊荘。こっちから見ると3階建てに見える。
この蛇行した水窪川の流路跡である。



旧大塚坂下町。



開運坂の下の交番の隣。不整形な狭小地がある表は明治時代に開かれた坂下通り。
後方は水窪川が流れていた。



旧大塚坂町。



旧大塚坂下町



君の湯の裏を回り込むように水窪川が蛇行していた。
今も川跡であることがはっきりとわかる。



上の写真から君の湯の裏に寄ったポイントから撮影。




関東大震災直前、被災した巣鴨刑務所が描かれている。正門から南東に伸ているのが坂下通り。
その左右を蛇行した水窪川が流れている。講道館の北隣が現在君の湯の辺り。
旧大塚坂下町には昭和4年に4軒の銭湯があった。それに君の湯が含まれているのか、旧住所と突合する方法を知らないので分からなかった。



戦後すぐの頃の航空写真。黒い部分が戦災遭っていない地域。新大塚駅から同湯一帯は戦災非焼失地域になっている。
巣鴨刑務所の前の日の出湯があった旧日の出町も戦災非焼失地域。サンシャインシティは旧日の出町という町名に由来している。



ラーメン屋に入るのは3年10ヵ月くらいか。美味しゅうございました。


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