差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2011年4月28日木曜日 0:17
宛先: sento-freak@yahoogroups.jp
件名: 前村湯(川口市元郷) 〜スーちゃん追悼編

ナカムラです。

今日(4/23)は、「前村湯(川口市元郷)」に行ってきました。 川口元郷駅(埼玉高速鉄道)から、1.1キロ、13分くらいです。

朝から強い風を伴った雨。終日、ドキュメントスキャナで書籍、雑誌などを読み込む。書棚2 つ分の書籍を廃棄とPDF化し、手持ちが本棚1列くらいになった。

夕方、昨秋宮古で買ったミツウマ靴(トレードマークは3匹の馬の顔)を下ろして、出かける。

Googleの航空写真が震災後の写真に変わっている。宮古の七滝湯の辺りは、建物がかなり流さ れている。しかし、同湯は傾いているものの流失は免れたようだ。

大船渡の寿美乃湯は定休日を間違えて入ることができなかった。同湯はひどい惨状だった。付 近の建物がことごとく流失している。同湯の建物も基礎が残るだけで上物の一切が無くなって いた。ただ、よく見ると男女境と深浅2槽の浴室の跡だけが見て取れる。

世話になった七滝湯の女将さんや、立ち話をさせて頂いた寿美乃湯の大将のことが案じられ る。。。

さて、バスで王子駅に出て、南北線と埼玉高速鉄道で川口元郷駅へ。降りると岩槻街道に面し て鋳物工場。屋根に小型の溶鉱炉であるキューポラが出ている。地下鉄が通り、工場などが多 いやや殺風景ななかに、タワーマンションがいくつも建てられている。

日没の時間は18:20だけど、天気が悪いせいか思いのほか暗くなるのが早い。雨の中、多少道 を間違えたりして同湯に着いた時にはほとんど陽が落ちた後だった。

細い小道の奥にコンクリ煙突の簡素な銭湯が建っている。2009年に廃業した赤羽・玉の湯(大 正末か昭和初期の建物/現存)の支店として、昭和35年5月6日に開店している。

写真を撮っていると懐かしい東北訛で話しかけられた。クルマでわざわざ同湯に通っていると いう方だった。故郷を想う心と通じるのか、小生がこういった郷愁の銭湯にやってきて、写真 を撮るという心持ちが分かるようだった。

もう、牛乳石鹸からの暖簾も来ないのか、手製の暖簾が強風に揺れている。中に入れば左右に おしどり錠の下足箱。傘立てがないので番台に聞いたら、下足箱の奥の一部の板が外され、そ こに差し入れるというイニシエの方式だった。○穴ではなく「あまり奥に入れると落っこちる から・・・」という、かなり原始的な構造だ。

中に入れば、息を飲むレトロな空間がある。幅3間半、奥行3間ほどの広さ。折上げ格天井や 干からびてから長い年月が経つだろう壁材の木目プリント合板。番台も木組みのどっしりとし たものだけど、さほど高級な材料ではないようだ。戦前築の赤羽・玉の湯の建物で育ったせい か「この建物はインチキだから」という大将。インチキという訳ではないだろうけど、新建材 が出始めで、質が悪かったんだと思う。

ロッカーは外壁側におしどり錠アルミ板鍵のもの。扉はやはり木目プリントの干からびた新建 材。かごも現役で10個ほどが積まれている。

男女境には、浴場広告の敬心社の、使われていない古い電光看板が残る。B4版10枚のスペー スのうち、空スペースを埋める絵を含めて5枚が敬心社絡みのもの。その他、旧三菱銀行と理 髪店の広告。それ以外はビニ本屋と大人のおもちゃ屋のもの。いずれも30年以上は前のものだ ろう。

脱衣所は、基本的にシンプルな空間として整っている。中央にテーブルと簡素なソファが置か れているくらい。その他には、古い天井扇、Keihoku hakariのアナログ体重計と2枚扉の古い 冷蔵庫がある程度。必要最小限のものがあるだけだ。

ブロック塀に囲まれた庭は、華奢な木製建具と小石タイルの濡れ縁の向こうにある。池などは ないけど、椿、もみじ、黄色の花を付けた灌木などが丁寧に手入れされていた。

浴室は、幅3間半、奥行4間。天井はくすんだ白ペンキ塗りの2段型。床のタイルは茶色と白 の斑の長方形のものを縦横に組む珍しいもの。全体的にくすんだこの浴室に合っている。洗い 湯を流す溝は厚手の白磁のものだけど縦に割れている。しかし、こんな空間から”郷愁”とい うポジティブな印象を受けるのは、古いけど丁寧に清掃されているからだ。

三角鏡の島カランは2列で、カラン数はセンターから6・5・5・0・5。外側のカランは、押し 手に「湯」という文字が刻印された真鍮製の古いもの。プッシュ式のこの古いカランを見るの は久しぶり。

浴槽は、奥壁に接した3槽。センター側は、1人用の鉱物化学研究所のガリウム温浴泉。バイ ブラで赤外線の照射があるもので、同湯創業の前に既に無い「帝国大学」の石和田教授のうん ちくが記されている。

中央は何らの仕掛けも無い深槽。タイルがはがれコンクリがむき出しという、浴槽の底が見え る。そして、何の設備もない浴槽ゆえ、お湯が清澄であることが判る。

主浴槽もやはり底がコンクリ剥きだしで、2穴ジェット×2だけがある。大将が「この前の地震 は危なかったんだ」と言っていた。地震のせいか定かではないけど浴槽の縁に大きなクラック があった。

設備ははっきり言ってボロだ。しかし、故郷を離れた寂しさを癒す程の郷愁がここにある。近 くに元郷湯という新鋭の銭湯があるけど、そこでは癒し切れない何かが、ここ前村湯で溶かす ことができるんだと思う。

浴槽の上には「ダイワ広告社」の広告とともにリバティー・ミュージックという貸レコード屋 の古い広告。川口だけでなく池袋、王子、赤羽に店を構えていたようだ。

下北沢の横浜銀行の前に、貸レコード業界を切り開いた「黎紅堂」の小さな店舗があった。中 学生の頃、LPレコード1枚が300円くらいだったと思う。山崎ハコ、NSP、ふきのとう、佐々木 好といったネ暗な楽曲を借りてきては、カセットテープに録音して繰り返し聴いていた。

秋田訛の御仁も、懐かしそうに貸レコード屋の広告看板をを眺めては、一番最初に借りたのは キャンディーズのLPだったと問わず語り。一昨日、メンバーだった田中好子が亡くなった。「俺 が一番最初に歌ったさ、すったらずぅーっとずぅーっとキャンデーズが続くのさぁ。。。」昨晩の 居酒屋での光景を話してくれた。ぐっと来るものがあった。

ビジュアルは、奥壁の中島さんの穏やかな入江の風景を描いたペンキ絵。平成3年6月19日に 描かれたかなり古い絵。たわんだ部分が黒くなっているけど、意外にも退色が少なかった。そ して男女境には幅広のモザイクタイル絵。緑山、白樺、川、白嶺、町並みという和的な雰囲気 が混じった基本洋風という絵柄。モザイクタイル絵にしては濃い色使い。ほの暗い浴室に合っ ている。

風が強く、強い雨が降ったり止んだりする日曜日の夕方の18:50から19:10に滞在。相客は3 人ほど。上がってからもネクター100円を頂きながら深い郷愁にひたっていた。物静かな大将 は日経新聞を読んでいる。風呂屋ではあまり見かけない光景だった。

岩槻街道まで戻り、バスで赤羽駅に出る。上がりの一杯はOK横町の居酒屋「八起」。値段はか なり安かったけど、「まるます家」と比べると味は落ちる感じ。焼酎の水割りを頂いたけど、水 道水の味がした。。。

*************************************************
ナカムラ (Masayuki Nakamura)
メイン:masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp  
URL: http://www7a.biglobe.ne.jp/~masayuki/ (風呂屋の煙突)
*************************************************












赤羽OK横丁