差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2003年11月22日土曜日 23:47
宛先: 銭湯ML
件名: [sento-freak:04584] 政の湯(小田原市東町3丁目)

ナカムラです。

今日(11/22)は「政の湯(小田原市東町3丁目)」に行ってきました。

漫画家つげ義春がもっとも好んだ小説家、川崎長太郎。その私小説「抹香町」に描かれている私娼窟跡を撮影、川崎長太郎の生家跡を見学、締めは銭湯というコースです。

旧抹香町は買春防止法以降は浜町旅館街として、主に水産関係者を対象とした旅館街となっていたようです。
しかし、看板を下ろしていたり、廃業して空家になっていたりと、現役の旅館は確認できなかった。
でも、幅が半間の道、黒塀、独特の意匠の建物群があり、結構往時の姿を留めているなというのが印象でした。
小さな一角なのですが、静かな町なので足音を抑えながら、2時間くらいじっくり撮影していました。

小田原駅から旧抹香町まで1キロ。政の湯まではさらに1キロ。駅からは結構距離があります。
国道1号線から折れ、100メートルくらい住宅地に入ったところにあります。

なんと、料亭風の屋根のある門がある。
くぐると小さな破風屋根の入口。暖簾は屋号の記したオリジナル暖簾のようだけど、暖簾棒に巻き込んでいるのでよく判らなかった。
入口はアルミサッシ。上には扇型の木札に「湯男」とある。戸を開けると土間があってすぐ脱衣所。
戸の裏にはカーテンがついていたけど、暖簾と同じくこれも巻き上げられていた。女湯も同様。

下足箱といったものはなく、かなり年季の入った下足棚がある。
番台にはかなり耳の遠いおばあさん。
500円を渡すと140円バック。400円より安いのは初めての経験。
値段表を見ると平成7年の値段表。それから、価格の改定を行っていないらしい。

脱衣所の幅は2間。長さは土間を入れて3間くらい。
天井は薄い木板を桟で固定する旅館型。
板の間の古いもの。その上にゴサが引かれている。

ロッカーはオール木製で、扉に「一」から「十二」まで大きく記されている。
取っ手は付いているものの錠は付いていない。
しかし、先客(4人)はみんな丸籠を使っている。この籠、しかし、かなり年季が入っていて、縁が破れていたりする・・・。

旧型のマッサージ器、ドライヤー、寺岡式のバカでかい体重計(「貫」表示が中心で、キロの方は薄くて見えなくなっている)、なぜか横にヘルスメーターなんぞがある。

風呂場は、やはり幅2間、奥行3間。天井は2段型。床は八角形の白タイルと小さな正方形のタイルを組み合わせた小生好みのもの。
この正方形のタイルがブルーとピンクが混在している。
さらに、普通はカランの下にある、洗い湯を流す溝がない。
古い構造である。

小銭湯ゆえ、島カランはなく、センターに4、外壁側に4とカランが少ない。シャワーはセンター側のみ。
カランはかなり旧型で取っ手も真鍮で「湯」と刻印があるもの。初めての遭遇。
水の方はプラスチックの取っ手に湯気のマークが描かれているもの。

カランの湯はかなり熱く、湯量も豊富。
勢い余って取っ手の隙間から噴出してくる。かなり熱かった。

 途中から湯量が細まった。女湯では湯が出なくなった模様。
 何で判るのかというと、女湯に小学生?の女の子が2人いて、ずっとしゃべりっ放しだった。
 「おじいちゃーん、お湯でないよー」って叫んでた。
 小学生の複数の話し声が聞こえるというのも稀なのに、さらに常連の模様。珍しい光景だ。 

湯船は深浅の2槽。浅い方が小さくて、2人入ったらキツイというくらいの広さ。深い方はその1.5倍くらいの幅で、床に2つ穴が開いていて気泡が出るというもの。
湯船だけは新しいタイルが張られている。上面の縁は御影石が張られていたりと少々他とアンバランス。

ビジュアルは富士山と帆かけ舟、湖のペンキ絵。北鎌倉の新世美術のものと思われる。
白ケロリン桶とグレーの椅子。火照ったからだにカランで水をかぶり、しばし瞑想。
先客はみな出て1人。至福の時、である。

上がって冷蔵庫に手を掛けると、番台から冷えたのがよければ女湯にあると・・・。
もちろん冷えたのがいいので、取ってもらう。オロナミンC110円也。

地域密着の現役系銭湯。
小学生の常連が居るのもマルです。
なかなかいい湯でした。

最後に「何か調べてるんですか・・・」って怪しまれたが・・・。
まぁ、自分は籠を使っているのにロッカー開けたり、天井を仔細に眺めたり。
逆の立場だったら、小生は確かに怪しいオヤジではある。

帰りは再び、闇に沈んだ旧抹香町を経由。
住宅の中に不自然な小料理屋が2軒、看板に灯りが灯っていた。

小生は「銀座通り」の「飛騨」という、女将ひとりで切り盛りする大衆酒場で休憩。
最後は締めのラーメンまで食べ、大田胃酸を飲みながらこれを書いています。